(ฅฅ*)コンニチ… ฅ(°▾。ฅ)ワァー!!
まずはタイトルコール!
上方落語『笑うてなんぼ』
落語にはさまざまな知識や感性によって楽しめるように、いく層もの面白さが仕掛けられていることがあります。
今日のテーマは
「東横堀川」其ノ弐
東横堀川に縁のある落語を紹介しながら、歩きたいと思います。
皆さんも落語のシーンを思い浮かべて、ご一緒に散歩しましょう。
長くなるので数回に分けて紹介します。
なお落語の題目の青字はまだブログで紹介してない噺です。今後に期待してください😊
東横堀川
大坂西町奉行所跡
『佐々木裁き』の中で語られる西町奉行所にはホテルが建っていました(笑)。
「佐々木裁き」に登場する佐々木信濃守(ささきしなののかみ)も実在の人物でしたね。
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……やってまいりました西の御番所、本町橋の東詰めを北へ、浜側が溜りと申しまして控所になっております。
一同こちらに控えておりますと、次々にお裁き事が済んでまいります。
が、四郎吉どもには一向にお声がかかりません……
『帯久』のお裁きもこちらで行われました!
農人橋
農人橋は大阪城の外堀として開削された東横堀川に架かり、農民が耕作の為に通った橋であったので、その名がついたとされています。
『饅頭恐い』で親っさんは農人橋で身投げ女性を見放してしまいます。
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…どんよりと曇って、今にも降り出しそうな空模様やった。
農人橋を渡ろうとしてヒョッと見ると、橋の真ん中に若いおなごが立ってる。
何をしてるんかいなぁと見ると、石を拾ろて袂へ放り込んでる。身投げや。
……中略……
「何かい、赤の他人が親切に言ぅたってるのに、それほど死にたいんかい。勝手に死にさらせ、どメンタ」パ~ンと突き飛ばすと、橋の欄干に頭ぶつけてガツ~ン、ヒ~ッ……
安堂寺橋
江戸時代の橋通りは、玉造から生駒の暗峠に達する奈良街道に通じる重要な道筋に当り、この時代初期には架設されていたようです。
橋の東側は東堀の材木浜で、材木をはじめ竹や竹皮の取引も行われていて、西側は南船場につながり、金物問屋や砂糖商の密集する町でした。
喜六と清八による伊勢参りの道中を描いた一連の上方落語『伊勢参宮神乃賑』
通称「東の旅」でも安堂寺橋が旅の起点として登場していますね。
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……さて、ここに喜六、清八といぅ両名の大阪の若いもん、だいぶ時候もよぉなったんで
「ひとつお伊勢参りでもしょやないか」
と黄道吉日を選び、赤いご飯のひとつも炊いてもらい、親類や友達、近所となりへもあいさつをすませ、大勢の者に見送られて安堂寺橋をば東へ東へとってまいりましたが何しろ風体がよろしゅうございます……。
『饅頭こわい』の落語では身投げをしたおなごが安堂寺町辺りまで後をつけてきます。
……髪の毛引っ掴んでズルズルズル。
また橋の真ん中まで引っ張って行って、……
と続くのですが、安堂寺町から引っ張って行くならこの安堂寺橋が手近でよろしい。
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……娘の髪の毛掴んでズルズルズル~っと、また橋の真ん中まで引っ張って行って
「さぁ女御、よ~見ぃよ、これが音に名高い東横堀。
二、三日前からの雨で少々濁ってるかは知らんが、末期の水は喰らいしだいじゃ」
と言ぅなり、 女御の体を目よりも高くさし上げて、川の真ん中めがけて、ザブ~~ン・・・。
「わッ、放り込んだんか?」
「わいがはまった!」
「正直者の頭に神宿る」でお馴染みの
『五人裁き』
にも安堂寺橋が登場してます
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久兵衛
「そんなはずおまへん。ここに落ちてましたやろ!」
番頭
「なにかい、わしが盗んだとでも言いなはんのか!」
久兵衛
「そやないが、あれは娘を売った金でおます。あれがなかったら親子みなで首吊らんなりまへんのや」
番頭
「しつこいおやじやな、無い物は無いんや、出て行け!」
と、引きずり出してしまった。
もうどうしようもなく、久兵衛は安堂寺橋から飛び込もうとする。
それを抱き止めたのが、船仲士の櫓浜(やぐらはま)の幸兵衛……。
まだまだつづきます。次回をお楽しみに( ᴖ ·̫ ᴖ )
ではまた次のブログでお会いします