南海トラフ地震臨時情報の影響により、昨日朝から小田急線は厚木市以西で速度制限がかかるようになりました。
更には夕方からの豪雨のためにほぼ同じ区間で徐行運転、夜に入ってからは震度5弱の揺れに襲われて終日運休に見舞われてしまい。
小田急線及びユーザーにとって、まさに受難の一日。30年あまり利用している私にとってもこの「三重苦」は初めての経験に。
この年になっての初体験、苦笑いのほかはないのですが。気を取り直して、本題「伊勢原市内周遊」。
前回までは伊勢原と厚木の市境を辿ってきましたが、厚木市側へと寄り道。
前回訪れた「岩田山公園」と向かい合わせの高台が「小町山」、その頂上に「小町神社」が佇んでいます。
その縁起によれば、薩摩藩島津家家祖 忠久公の母とされる丹後局さんの所縁の地。源頼朝公の妻である北条政子さんの迫害を受けて、この地に隠れ住まわれたのだとか。
小町山の頂きからは遮るものなく大山と相対することができ、そしてその逆側は
「玉川」の流れと、そしてその先には厚木市街地が遠望できて。
そしてその「玉川」のほとりにあるのが
「縁切り橋」石碑。
鎌倉時代初期のころ、この付近を治めていたのが愛甲三郎季隆さん。先ほど紹介した「丹後局」さんを近在の日向薬師に案内している間に、北条政子さんの差し金で館を焼き払われてしまい。
(↑)日本三大薬師「日向薬師(宝城坊)」
北条政子さんの丹後局さんに対する、強い憎しみ(妬み)を感じ取れるような出来事。これにより愛甲さんは北条家と敵対することを決意したのですが、その決断の場所がここ「縁切り橋」。
季隆さんはその後、和田合戦で戦死し家は断絶の憂き目に。(和田合戦のエピソード、2つ前の大河ドラマで描写されていましたね)
そして、その石碑の前にあるのが「(厚木市立)玉川球場」
三浦監督が現役時代に利用して以降、ベイスターズ主力投手陣がキャンプ前に自主トレを行う場所として知られるようになりました。
近くには温泉地もあり、トレーニングを行う場所としてうってつけと判断したのでしょうね。
(↑)玉川のほとりから見る大山。
次回もこの付近にとどまります。