小田急線「渋沢駅」。
電車が接近すると上りホームでは「負けないで」、下りホームでは「揺れる想い」のメロディが流れます。ZARDのボーカル、坂井泉水さんの出身地という縁から採用されたのだとか。
私自身、ZARDの楽曲にどれだけ元気づけられ、勇気を頂いたことか言葉もないほど。坂井泉水さんが若くして亡くなられたあと、地元出身を知った時の驚きもまた同様で言葉もありませんでした。
坂井さんは気になった言葉をメモにして書き留めていて、紡ぎ合わせるように歌詞を生み出していたそうですね。
坂井さんの遠く足もとにも及びませんが、私もそのまねごとをしてメモを取るようにして。
口にしたこと 感じたことを 紡ぎ合わせて 都々逸に
短歌・都々逸を詠むきっかけの一つをいただけたことに感謝しています。
本題に戻って。糟屋道を辿りつつ、「荻野新宿」まで到達しました。前回も記しましたが、荻野村全域は「旧 荻野山中藩」領。
荻野新宿からわずかに北上した地点にある「山中城址」石碑。
一般的には1万石以上が「藩」。そしてその所領を与えられた者を大名というそうですが、荻野山中藩の石高は1万3千石。
これほどの小規模藩ではお城を維持することは難しいのでしょうね。城址といいながらも
実際には「陣屋」が置かれていたそうです。
こちらの陣屋跡から、厚木市街地へと向かう道筋には
「殿様道」の石碑があって。
説明書きによれば、藩主が参勤交代の折に利用した道なのだとか。
この道筋を辿れば、「(下野國)烏山藩」飛地領の厚木宿を経由しての江戸方面へということに。
実は荻野山中藩主も烏山藩主も縁戚筋の「大久保」さんだったのだとか。
ということでいえば、参勤交代の行き帰り、厚木陣屋に立ち寄って両藩士揃っての宴会でもしていたのかもしれませんね(笑)。
更にいえば、(現)神奈川県内での最大の藩、小田原藩主も長く大久保さんであったことにも興趣を惹かれてしまいました。
次回も旧荻野村の歴史散歩を続けます。