川があるたび 急坂くだり 登り返すを 繰り返し  ~ 厚木の特徴 河岸段丘 ~ | 温泉大好き!厚木の住人

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厚木・伊勢原・平塚を中心に古街道を辿り、時には川を遡りながら郷土の歴史を探訪します。

 先日のこと。

 若い友人Rさん、目的地まで車で送り届けていただいたことがありました。その車内で、梅雨時に関するみそひともじ、詠んでみようということになりまして。

 厚い雲 覆いつくして 大山の 姿も見えず 今日は梅雨入り

 

 車窓からいつも見える大山が雲隠れしてる様子を一首にして。でも、正確にいえば、この日は梅雨入りの翌日でしたが(笑)。

 

 一方でRさんは

 水無月と 文月葉月 夏の日の 稲の成長 楽しみですね

 

 田植えの済んだ近所の田んぼを目の前にしての一首。Rさんの話す言葉そのものが、五七五七七でまとまるところに脱帽です。

 

 本題に戻って「糟屋道」

 前回訪れた「寶積寺」をあとにすると、すぐに「玉川」を渡ります。

 

 この玉川、かつては大磯と平塚の市町境が「終着点」でした。関東大震災後に河床が上昇したため、度々氾濫。現在は流路付け替えが行われ、最終的には相模川と合流しています。

 

 ということで、川の流れは「不自然なほどの」一直線(笑)。

 渡った先に見えてくるのが「みたど」の石標。

 

 ここも何度も採り上げている地名になりますが

 こちらの「阿弥陀堂」。

 「あみだどう」がつづまったものなのだとか。それにしても目を惹く地名ですよね。

 

 この先、再び急な坂を登ります。

 

 「糟屋道」は何本も川を渡っていくルートですが、渡るたびごとに河畔まで下って登り返すことを繰り返します。

 

 昔々「地理」で習った「河岸段丘」地形が発達していること、厚木の特徴の一つかもしれませんね。

 前々回に訪れた「愛甲館」に立ち戻って、眺めてみました。

 

 一直線に伸びる急坂、下り切った場所が「玉川」の渡河地点。そして、真正面に見える「丘」へと登り返して。

 こちらの「丘」。頂上付近に設置されていたのが「ホウダイヤマ1号墳」の説明板。

 

 「砲台山」という漢字が充てられるのでしょうか。4世紀後半に築造されたものなのだそうですが、残念なことに墳丘は既に取り崩されていて古墳の面影はありません。

 

 現在、この高台は「ぼうさいの丘公園」として整備されています。

 平時は厚木市民の憩いの場所ですが、災害時には防災拠点として機能するのだとか。

 

 地元民としては心強い限りですが、こちらのお世話になる事態が起こることのないように願うばかりです。

 

 次回はここ「ぼうさいの丘公園」から、「恩曽川」河畔へと向かいます。