毎週土曜日朝に更新される「気楽爺」さまのブログ、今回の俳題は「お茶会」にちなむもの。
といっても、根が呑兵衛の私には 紅茶とケーキ 合わずして(笑)。
呑兵衛の 私にとっては 機会なく これから先も 縁なき茶会
どちらかと いえばお茶より ぐい呑みに 注ぎ飲み干す 酒欲しくなり
お酒を飲みたい気持ちにあふれた短歌二首となってしまいました(苦笑)。
さらに加えて都々逸も。
お茶とケーキに 囲まれるのは 針のむしろの お酒飲み
やはり私にケーキは合いませんね。
本題「矢崎通り(大山道)」に戻って。前回は「岩船地蔵尊」から伊勢原台地に登り着くところまででした。
小田急線の踏切を渡った先には、雰囲気ある古道が遺されていました。
その道脇には小さな祠の「お稲荷」さま。そしてその先、わずかの場所に
赤い大きな提灯が目立つ古刹「大福寺」。
こちらのお寺さんの創建が1645年のことになるそうです。約400年前のことになりますが
「伊勢原大神宮」が創建された年を伊勢原開村の年と数えると、400年余りの年月が。大福寺も開村わずかの頃から、この地に根付いているということになりますね。
ところで「伊勢原大神宮」
こちらのお社付近で、辿ってきた矢崎通りの古道は「(藤沢・江ノ島からの)田村通り」「(大磯からの)小磯通り」と合流することに。
こちらが今回の古道旅の終着点となりました。
ちなみにこちらのお社
伊勢神宮を勧請して創建されたのだとか。説明書きによれば、向かって左側が内宮、右側が外宮の両社殿となるそうです。
伊勢原の地名は、こちらの大神宮に由来するとのことで、「大神宮」ありきで伊勢原の歴史が始まったということになりそうですね。
伊勢原は大山詣りの人々だけではなくて、坂東三十三観音の巡礼者の他にも、伊勢原大神宮に参拝する多くの人たちで賑わいをみせていた場所。それを知ることができただけでも、郷土の歴史の重要な部分に触れられたような思いになりました。
昨年12月初めに伊勢原から「糟屋通り」で平塚へと向かい、3月半ばに折り返して「矢崎通り」を辿った古道旅、これで終了となります。
長らくお付き合いくださいましてありがとうございました。
次回からは2つの大山道を結ぶ「バイパス路」。そのうちの一つを辿っていくことにします。