戸田の渡しと芭蕉句碑 ~ 大山道散策 ⑧ ~ | 温泉大好き!厚木の住人

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厚木・伊勢原・平塚を中心に古街道を辿り、時には川を遡りながら郷土の歴史を探訪します。

 「柏尾通り大山道」を大山に向かっています。前回は海老名と厚木の市境に架かる「戸沢橋」まででした。

 戸沢橋を渡って、下流に1キロ弱ママチャリを走らせると

 「戸田の渡し」の石碑が設置されていました。碑の記述によれば、頼朝の妻「北条政子」さんが、この渡しを通って大山詣りをしたとの記録が残されているとのこと。幕府のおかれていた鎌倉と大山とを結ぶ主要な道として利用されていたことがうかがわれますね。

 また、相模川が氾濫するたびに渡し場の位置が変わったとの記述もあり、

 石碑のある場所から現在の戸沢橋を眺めてみると、たしかに渡し場が大きく動いていることが見て取れます。

 

 厚木市内に入り、昔の八王子道と交差する「戸田交差点」を通過して間もなくの道端に

  「穂芒の中や舟呼ぶ人の声」という句碑がありました。

 昔はこのあたり一面のすすきが原だったのでしょうね。生い茂るすすきの向こうから、対岸にいる舟を呼んでいる旅人の声が聞こえてくる。そんな情景が思い浮かぶようです。

 

 (この句の解説及び作者の「芒の家兎月」さんの紹介が書かれている筈の背面を読むにはグルリ大回りして、よそ様のお宅の敷地に侵入しなければならないので断念しました。)

 先ほどの句碑の隣に設置されている「道標」。句碑としては実はこちらが「本命」で、「大山道」と書かれている反対側の面には、

 

 芭蕉の句「夏来ても 只一つ葉の 一葉かな」と刻まれています。

 

 ただ残念なことに既に石面が磨滅して読み取りずらく、さらにいえば、この句は厚木で詠まれたものではありません。そのようなこともあり、「戸田の渡し」を詠み込んでいる先ほどの「穂芒の中」の句の方に、私は心引き寄せられますね。

 

 今回は全て厚木市内でした。次回は伊勢原との市境からスタートすることにしています。