これはモデル代を節約する為じゃなく1人の人間にはいろんな可能性ががあることを示唆していると思う。
なんかいい感じ。
看護も介護も保育も社会的に大切な仕事。
そしてこの言葉に惹かれた。
「今日までの日々を、力に変えて」
朝、電車の中でこの広告を見るとなんか応援されている様で元気になる。
これまでのごりっぴぃの日々は消耗戦の日々だった。
それまでの経験は勿論フィードバックして患者さんに提供してきたつもり。
しかし無限ループで出口の無い日々は見えないところで確実に心身を壊してした。
そんなことは承知の上で自分で選択した道だから後悔はないけどその延長上にはどんな結末があるのか?
高揚感なのか絶望感なのかわからない。
おそらくそういうことを判別できない状態で終わるのだろう。
体力低下が酷いし集中力がもたない。
昼食抜きで13〜14時間外来をやるとどうしても一時的に意識が下がる。
一番調子がいい時間帯が外来の見通しがたつ21時頃。
終わったら診断書や紹介状を書いて24時。
この広告の女性の様な笑顔で仕事したいけど恐らくもう無理だろう。
朝仕事に出ると一枚の紙が置いてあった。
掃除のおばちゃん。
清掃会社に依頼しているが、そこでアルバイト勤務で毎朝(早朝)ウチに来ていた。
ごりっぴぃが勤務する前から7〜8年は勤めていた。
後で聞いたら時給の安さにびっくりした。
給与を上げたかったがごりっぴぃが直接雇用している訳じゃないのでなんともならない。
清掃会社に昇給をお願いしたらおばあちゃんはクビになって他の人を同じ給与で雇用するだろう。
申し訳ないので朝、ペットボトルのお茶なんかを時々差し出していた。
しかしお歳の事もありご自身から辞められ最後の日は皆んなで写真を撮って寄せ書きの色紙を進呈した。
こんな仕事場だったけと最後まで気を配っていただいた。
日々の外来もたまにイイ事ある。
数年前、真冬の夜中に母体搬送した方がその後産まれた子供と元気に来院したり、
16歳の女の子がHPVワクチン接種で来院したら付き添いのお母さんが「この子は先生が夜中に緊急帝王切開した時の子であの時はありがとうございます」と(女の子はキョトンとしている)、母子手帳にはごりっぴぃのキタナイ字が書いてあった。
時々元気な赤ちゃんの写真が同封されたお手紙が来る。
こういうのが一番嬉しい。
ゼニ・カネでは得られない喜びが得られる。
明日も頑張ろう。
行けるところまて行ってみよう。
なんか昔話が多くなった。
いろんな経験の積み重ねで此処にいる。
これからもいろんな経験を積み重ねるがそれに押し潰されてはいけない。
だからこそ
「今日までの日々を力に変えて」という言葉は現在のごりっぴぃの心に響く。
中島みゆきさんの「ヘッドライト・テールライト」で"前を照らすのは遥かなる夢、後ろを照らすのはあどけない夢"と歌っている。
いつ聴いてもいい歌だ。
微力だけどこのポンコツ車は何を照らしてどこまで行けるだろうか?