今日は休診日(3歳児健診て公務)。
帰りに本屋さんで荒木飛呂彦先生の本に続き集英社新書を買った。
集英社というとジャンプや別マをはじめとした漫画出版社というイメージがあるが「すばる」みたいな文芸誌も出版している。
新書というとサブカル的なものが多いが2024年にこんな本が出るとは....
要は「傷だらけの天使」は多くの人間に影響を与えておきながらその後のオトシマエがつけられていない。
そして放映開始から半世紀が経って関係者がどんどん鬼籍に入ってしまい、誰かが総括をしなければならないという強迫観念で出版された印象。
著者はごりっぴぃより10歳ほど若く、リアルタイムで「傷天」を観ていない。
しかしながら「傷天」愛は深く、これまでになく掘り下げて検証されている。
読みやすく2時間ぐらいで完読できたし満足。
新しい発見はあまり無いがこれまで多くの関わった方々の証言集というかアンソロジーみたいな本。
しかしオサム(中卒)とアキラ(中学中退)の生い立ちの設定には絶句した。
この設定は公にアナウンスされていないが日本の公共放送では禁忌の設定。
ここでは書かない(書けない)ので知りたい方はこの本を読んでください。
「傷天」は当時性的描写も多々ありPTAが子供に見せたくない番組のワースト1位になったそうな。
今でも放送コードに引っかかるので再放送できない。
ちなみに第1話ではシングルマザーの団地妻(?)が子供が寝ている間に上司とセックスする
要は子供には見せたくない「大人の都合の悪い描写」があるという事だけど現実は「傷天」よりもっと醜い。
新聞・TV・ネットで「傷天」よりもっと酷い事件・事案は連日見かける。
だからごりっぴぃは小学5年生の時リアルタイムで観れてよかった。
ネクタイをした上品な人間が自己保身の為に弱い人間を躊躇なく生贄に差し出す。
そんな状況は日常茶飯事。
生け贄にならないためには強く、ずる賢くならなけらばいけない。
そんなことを教えられた気がする。
学校の道徳なんかよりよっぽどタメになる。
社会に出る前にこのぐらいの番組は見ないとダメだ。
純粋培養されたまま社会にでたら喰い物にされてしまう。
改めてこの番組はごりっぴぃの生き方に確実に爪痕を残した。
この番組を観なかったらもっとお上品な生き方ができたかもしれないがお上品な人間にならなくて良かった。
「野にして粗だが卑ではない」
これがごりっぴぃの目指す生き方。
しかし「綾部のババア(岸田今日子さん)」が不意の来客を迎える時、食事を中断したシーンでのセリフ「食事中を見られるのはセックスを見られるようで嫌なの」を聞いて小学5年生のごりっぴぃは妙に感動した。
今までこんな啖呵をきった女性に会ったことはない。
そしてこんな台詞のある番組はもう創れないだろう。
っか綾部貴子みたいな華麗な悪女は見たことない。
それに対してワルになりきれなかったオサムとアキラ。
最終回、瀕死のアキラがオサムに見捨てられ、すがりつく場面はもうごりっぴぃにとってトラウマ。
たった1人だけしかいない心を許せる人にあんな仕打ちされたら生きていけない。
あんな絶望した死に方だけは嫌だ。
その気持ちは50年間ごりっぴぃのDNAに深く刷り込まれている。
だから綺麗事や大義を語る人間は信用できない。
理想に殉じるのはいいが大切な人を見捨てる理由にしないでほしい。
「傷天」はそんなことを教えてくれた。
伝説の雑居ビルはもうなくなってしまった
こだけは時間が止まっていた。
またこの4人の掛け合いをみてみたい。