ベレンコ中尉が亡くなった。
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この報道はショックだった。
ベレンコ中尉、ついにあちら側に亡命したか....
「自由を求める機密の翼」Mig-25に乗って最高機密を担保に「自由」を勝ち得た。
最新鋭戦闘機に乗る特権と家族を捨ててまで欲しかった「自由」とはなんだろう。
この事件は当時勝ち目のない中学受験勉強していたごりっぴぃに問いかける。
そんな勉強で「自由」が得られるのか?
サングラスのベレンコ中尉と翼を外されC-5Aギャラクシー輸送機にのせられたMig-25が小学6年生のごりっぴぃに問う。
目的の無い勉強なんかしている場合じゃなかった。
いまだに中学受験に失敗したのはベレンコ中尉とMig-25 Foxbat のせいにしている。
勿論これは見え透いた言い訳、理論のすり替え。
あの事件が無くてもごりっぴぃは中学受験に失敗していただろう。
ただ失敗した理由が欲しかっただけ。
「自由」は目に見えない。
「自由」は触られない。
「自由」とはフィジカルや物理的に確認できるものではなくスピリチュアルなものなんだろう。
そう、「自由」とは「青い鳥」と同じで心の中にあるのだろう。
だからALSで寝たきりの方にも「自由」はあるかもしれない。
だから「自由」はカネでは買えない。
まして最高軍事機密Mig-25をもってしても。
アメリカに亡命後、ベレンコ中尉はCIAの管理下(保護下)で軍事機密情報を提供し、見返りとして旧ソ連KBGからの報復を免れた。
そしてアメリカ女性と結婚して「自由」を勝ち取った。
勝ち取ったように見えた。
しかし離婚してアル中気味になって晩年はソ連(ロシアではない)に帰りたいと言っていたらしい。
ベレンコ中尉にとってアメリカの「自由」は経験前と経験後ではかなり乖離があったらしい(童貞クンか?)。
何を今更....
死んだらKBGの報復は勿論、「自由」への固執や妄想から解き放たれて「本当の自由」が得られるのかもしれない。
実はMig-25に乗って日本海を危険な低空飛行なんかしなくても「自由」は得られたのかもしれない。
辻仁成さんの小説「クラウディ」の終盤で主人公の選択は不完全燃焼だった印象がずっとあった。
しかしこの歳になってからは良い選択(正しいかは分からない)だったと心から思う事ができる。
リスクや対価を差し出さなくても「自由」は得られたのかもしれない。
この歳でやっとそんな事に気がついた。
しかし逆に皆さんに問いたい。
貴方が今感じている「自由」もしくは「不自由」は本当にその通りなんだろか?
錯覚じゃないのか?
実は無いものねだりじゃないのか?
そんな価値観からの亡命を考えている。
ベレンコ中尉がMig-25で日本海を低空飛行した時と同じコックピットに装備されていた手巻きのクロノグラフや照準器、真空管(アンプを自作した)、操縦桿を持っている。
そしてあの時のベレンコ中尉の気分になっているがそれこそ錯覚あるいは妄想。
同じモノを身近に置いてもベレンコ中尉の「自由」を求める覚悟には遠く及ばない。
「自由」というものは取得以降のことに意味は無く、手に入れるまでの過程(覚悟)が重要なんだろう。
いずれにしても亡命を決断するには覚悟が必要なんだろう。
でも不自由でもいいから消えかかった線香花火をなんとか長持ちさせたい。
歳をとると弱気になる。
亡命するには歳をとり過ぎた。
いつか ごりっぴぃも彼岸に亡命できたら「錯覚」や「覚悟」抜きで自由になれるのだろうか?
その時はベレンコ中尉からいろんな話を聞いてみたい。
寒い冬が始まる。
春を良い状態で迎えたい。