2月18日、
『スーパー歌舞伎
ヤマトタケル』を
新橋演舞場で見てきました!
やはりスケールがデカい!
That’s Entertainment , KABUKI!
私なりに感じた具体的な事柄をつらつらと
書かせて頂こうと思います。
すごい練習量なのでは?
例えば、熊襲弟タケルが2階で小碓命に剣で刺された瞬間、あれだけ大勢の役者さんが舞台で其々演技していたにもかかわらず、ピタッと全員の反応が合ってました。
また、中村隼人さんの殺陣は歌舞伎らしからぬスピーディーかつダイナミックさで、戦闘シーンを盛り上げていました。妥協せず、より高いものに挑戦してる感じがしましたね。
それと、宙乗り、早変わりもスーパー歌舞伎の見せ場だったのだけど、伊吹山の山神が変身した猪、ものすごく動きがよいと思いましたね。2人でやってると思いますが、とてもスムーズで、不自然な感じを全く受けませんでした。相当練習しないとできないんじゃないかな。
ユーモアは欠かせない
尾張国造が、お約束のように名古屋弁で笑いをとってました。河村たかし市長を越えてますね、明らかに(笑)。ユーモアはとても大事だと思いましたし。他にも全編随所にユーモアが散りばめられていました。
世情に背を向けない
歌舞伎のような伝統を重んじる世界ですが、現代人の感覚とズレないようにセリフにも工夫がされていたと思います。
フェミニズムへの配慮とも取れるセリフや、熊襲、蝦夷と言った古き良き秩序を闇雲に礼賛せず、逆に変化する事の大切さをセリフに取り込んでました。
また、長いものに巻かれろ気質の官僚たち、忖度や事なかれ主義がはびこる宮廷と、傷つきながら真っ直ぐ正直にしか生きることができない小碓命とのコントラストは、実社会を暗喩してるとも見えるし、だから小碓命は天を駆ける存在になるしかなかったんじゃないかと考えさせられました。
それと、冷徹な父親に対し、かつての歌舞伎であれは、その不満を言葉には出さずグッとこらえるところに美を求めたりしたんじゃないかと思うけど、小碓命は案外せいせい叔母さんに愚痴ったり。「ひどくないっすか、実の親子っすよ💢」みたいなね。
これも世の中の価値観に合わせてるとも思えます。我慢しなくてもいいんだよ、助けを求めていいんだよ、って。
望郷の念、親子の情
小碓命が絶命する直前、故郷忘れじ難く、鈴鹿峠を越えたらすぐ向こうの大和国への思いがとても痛々しくも切実に伝わってきました。
峠をひとつ越えるだけのとこまで来てるのに、私のように常滑市で暮らし、鈴鹿おろしの強さと冷たさを知ってる身としては、あの小碓命の残された体力ではそんな大きな山脈を越えて大和の国にたどり着くのはいかにも厳しいと実感しました。
それと、最後のお墓でのシーンは主役が既に亡くなっており場が持つかなと思ったのですが、それは杞憂で、兄橘姫とワカタケル母子、部下のタケヒコ、
ヘタルベ、そして使者の團子が白装束で現れ、
とても涙を誘う良いシーンとなってました。
特に團子さんの登場は、役柄を超えた歌舞伎ならではの血の存在感と説得力を伴っていて良かったです。体調も回復されたようですね、一安心です。
エンディング(カーテンコール)での、帝と小碓命が手を取り合ったシーンは、本編ではないハズなのにこんなに本編の見方に大きな影響を与えてしまうシーンを入れて良いものか?とも思いましたが、正直、とても良いシーンでした。中車さんの笑顔も見えたかな。
映画のエンディングに流すメイキングビデオの一コマと一緒ともとれますしね。
全編を通してとても良かったですね。やっぱりスーパーですね、スーパー歌舞伎は!今度は團子さん主演版も見たくなりました!
以上です。
3代目猿之助さんのヤマトタケル↓↓↓↓