こんにちはバレエ

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ありがとうございますぽってりフラワー






ミカンですニコ





父が亡くなってから

私は父にもらった愛と

揺るがない信念を抱えて

しっかりと前を向いて生きようと

決めました





ただ

父を失った悲しみと

これまで父の孤独に気づけなかった後悔は

とてつもなく重く

私にのしかかっていました





17年間の中で

たった5ヶ月間…





たった5ヶ月間に生まれた親子の絆は

揺るぎのないものでした






父のために生きた5ヶ月は

私にとってとても意味のあるもので

父への思いをよりいっそう

強くさせていきました





悲しみの中でも

父にもらった愛は強く

悲しみを上回り

私に生きる意味を与えてくれました





しかし

父に冷たくあたっていた

16年5ヶ月の時は

簡単に消せるものではありませんでした






私が父を死に追いやったと

思った程でした






そんな私を嘲笑うかのように

祖父母はまだ15歳の弟を一人呼び出し

私の母が父を殺したと

言い放ちました






あれだけ温厚で

自分がいじめにあった時も

誰にも言わず耐え

いじめていた子にさえ

慈悲の気持ちをもつことができた弟ですが






今何て言った…?





何て言ったんだよ!!




ふざけんじゃねーよ!!



と怒鳴り散らしました










自分しか愛すことができない

祖父ですが

弟(孫)のことは唯一大事にしていました





そんな弟からの予想だにしない言葉に

呆気に取られていました






まだ15歳の弟に

自分が大切にしている母の暴言を

吐いたどころか

殺したと言った祖父の神経…






狂っています





父のことなんて

全く愛していなかったのに



自分の息子を嫁(私の母)が

殺したと言えるのでしょう…





父のお見舞いにすらこなかったのにね…





父の命の火がだんだん弱くなってきた時

母は祖父に





もう嘘でもいいから

どうかお前が大事だと

生きていてほしいと

言ってください




と懇願しました





頭を下げ

何度も何度も…




しかし祖父はその思いを

受け入れはしませんでした

 




母は最後だけでも

自分が祖父母に愛されていたという

思いを抱えて

旅立ってほしかったのです







それに祖父は

父が亡くなる前から

葬儀の計画を立てていました

自分の子どもの葬儀の計画を立てる親が

どこにいるでしょうか…





人ではない…






18歳の私には到底理解などできない

腐った大人がそこにいました







最後まで

祖父母からの愛をもらえなかった父…




そんな父の孤独を感じれば

感じるほど

私がやってきたことが

祖父母と重なり

どうしようもなくなるのでした





 流れ星