【新時代の人間学講座】

第14回☆精神構造への目覚め(基礎編)

 

あなたの中の固定概念と向き合ってみませんか!

 

 

 

厄除祭があるじゃないですか。ぼくも前厄と本厄と後厄、3年続けていきましたね。前厄の時に祈祷が終わって厄神さんにお賽銭入れて、鈴が、頭の上に落ちてきましたからね。 本厄の時は名前を間違えられて、そんな感じで、ネタにしかならない。もちろん先生は厄払いに行ってないですよね

 

行ったことない。

自分の歳が分かっていないのに…、正確に自分の年齢を答えられない

 

厄払いに行った話も聞きたくないしね。厄除けに行った人は、1万円のコース、5000円のコース等で分かれているとかね

コースが違うのはどういうこと?

1万円を出した人は持って帰るお守りとかが違うとか…

1万円の方が厄をたくさん払いのけることが出来る?

そういうことですね

5000円は半分なのか?

半分でしょうね。特典が少ない。それ以前に厄を持っているというか、厄がついていて払いに行くことが可笑しいですけどね。親が行って来いということで行きましたけど。話しのネタにしかならない…、鐘が落ちて来ましたからね。本厄の時に利根川直也ってう名前で祈祷を申し込み…、神主が〇〇市〇〇町の「利根川のシンヤ」って、祠がドーンと揺れたからね。みんな笑って…。近所の後輩先輩じゃないですか、みんな僕のことを知っているし、みたいな。そういう思い出しかないですね。その年に入院とか事故とか何かがあったかといえば全然なかったし、でも例えば新聞でなんとかさんが交通事故で亡くなりました。41歳の方でしたとか言えば厄の人だとかね。 そうなってしまう。何歳の人でもなくなる時はなくなるんですけどね。寿命でなくなるのですけどね

 

ひとつ質問しても良いか。神社の宮司に災いは起こるのか?

どうなんでしょうか。 今は参拝者が少ないからいいものが食べれてないとか聞きますね。自分の神社だけでは生計が立たないので違う神社に出張してます

人の厄を払う宮司に災いが起こるのか。全国の宮司さんには災いは起こらない

自分の厄を自分で払えるのか。そもそも厄を信じるか信じないかですよね。気のせいなのか…。たとえば交通事故に遭えば、それは厄だったから…、気になるんですよね、それくらいの年齢になれば…

 

(開缶)

 

厄とは何なのか。そういう話から入らないと…

身体的に変わるとか、社会的な役割がちょうど40ぐらいから変わるとか、それも昔と今も同じなのか。でも神社は儲かるっていう。色んなところで厄除け祭。少し前は十日戎で商売繁盛とか…有りますものね

神社はなぜこれほど変わったのか

 

昔からあったのでしょうか。皆で走って一番福とか。今回はスマホを落として滅茶苦茶な人がいましたよね

へ~、全然知らんわ。社会の様子が分からない

TV観ないですからね。神社の形もどんどん変わるしね、神社に参ったから志望校に合格出来たとか、それもね、先生から見れば馬鹿々々しい話しでしょ

勉強しなさいというだけ

そうですよね。どうなんでしょうね。祈りっていうのでしょうか。拝む。志望校に合格させてください。100円ぐらいお賽銭して、それで合格出来るのか、それで合格する気分になったというのか、背中を押してもらって頑張れるっていう意味でしょうか。宣言するところだと僕は思います。祈りはね、意志を宣言する。そういう感じかなと昔はそう思ってましたけど…

祈りは祈りで黎明塾として話したいと思う。今日はあまり難しい話しをしようと思わない、気合がは入ってない

世俗的な話しをしようと

本来的な祈りの本質。古来から日本では言葉を大切にする歴史がある。近年は若干違うけど、日本では、言葉を大切にする。これを言靈という。言靈が分からないと祈りが分からない。言靈のエネルギー。

難しい話しになりますよね。それはまた次の機会で世俗的な話で言えば、合格させてくださいというよりも、自分の実力を発揮させてくださいと言う様な感じですか。何かにすがるっていうのを先生的にはどうですか。神にすがる。神社参拝…

そう聞かれたら多少ややこしく感じる話しをどうしてもするけど…。自分の願い事がある。神社に行って、自分自身がその方向にエネルギーを注げるなら行って正解。すがるという行為を〇か×で言えば×。でも何かにすがったお蔭で前に進む。効果があるから神社とかはお守り等がある。 結局は自分のエネルギーの使い方次第。 そのきっかけとしてお守りを持ったり神社に参拝をしたりで、 一定の効果が得られるが、それは、エネルギーの使い方を知らないだけ、解説すれば多少難しく感じると思うけど、すがるというのは効果がないとは言えない。 その効果は自分自身のエネルギーの使い方。(補助的に)すがったおかげでその方向に進める。 神様に手を合わせて合格する気になり、合格してしまう、これはある。手を合わせたお蔭でその方向に向かった。

エネルギーの使い方ですね

そういうのを利用してお守りの販売とかがある、効果が有るかないかで言えば効果はある。でも、それに目覚めないとならない時代。それが精神的な向上。自分自身を知るというのはそこにある。今後の新しい時代で精神構造が変わる。 黎明塾でまだ話してないが精神構造が変わっていく。そういうことに目覚めていく時代。それは自分を知ること。自分とはこう言うエネルギーの使い方をしたらこうなる。先ず、そこから知ること。 神社に行って効果があるのではない。それは自分自身のエネルギーの方向、使い方。が変わったということ。お守りがあったり神様に手を合わせて自分自身の安らぎに代わることはある。すがるという意味で言えば止めておけと思うが、今の時代はそれで救われる人がいる。

今の時代はね。お墓参りに行って 助けてもらえるとかね。 逆に先祖に祟られているからとか、よく聞くじゃないですか。お墓に入ってないからこうなったとかね。お墓に入ったらうまくいったとかね。どうなんですかね。

墓参り、先祖供養の話しにいくか!

新興宗教等で、よく出てくるキーワードです

その点も塾頭に質問。利根川家としてのお墓がある。墓参りに行ってないから災いが起きたという話しは、よくある話し。でも、先祖に祟られるということをどう思うか。不幸と感じた責任は先祖が怒っている。

有りえないと思いますけどね。ぼくもその内、先祖になると考えたら、自分の孫とかひ孫とかに、お前たちは何故オレの墓に参らないのか。最近、全然来てくれないし、花も変えてくれないと言う訳ない。思わないと思いますけどね

自分に何か不幸と思えることがあれば先祖の責任…

何代前の先祖に祟られたとか聞きますよね。ぼくにもお父さん、お母さん、そのお父さん、お母さんにもお父さんお母さんがいて遡れば、何人の先祖がいるのか。十代遡れば1024人でしたか。その中で怒っている人がいるとか、七代前からの因縁だとか言っている人がいますけど考えられないです

不幸の原因は先祖が怒っている。 それも墓参りに来なかったから(笑)

いやー、仏壇のご飯を備えてくれないとかね色々あります

そう言うことを信じている人もいる

先祖がいるから自分自身もここに存在している。それに対する感謝はありますけど、お墓に行ってパチンコに勝てますようになんてヤツいないですからね。パチンコに行ってクソほど負けて墓参りに行く人もいないでしょうけどね。僕の生きてきた中で墓参りに行く時は心が落ち着いている時とか、ご先祖様に対して頑張っていますよと報告に行くとか、そういう感覚ですね。今日、パチンコに勝った負けたとか、勝たせてください等はないですね

 

(開缶)

 

要は先祖供養をしないために祟られる

何代にも渡って祟られる。アホか、それだけや

 

 

第14回は、精神構造への目覚めをお送りしましたが宗教とは何か。

信仰の本質を的確に捉えていくことが大切なので次回も続きをお送りします