1960+(50代3人による暇つぶしのお供) -71ページ目

1960+(50代3人による暇つぶしのお供)

玉下奴郎とその仲間たち、計3人のブログ。 音楽、映画、書籍、時事などなど、50代(1960+世代と呼ぶ)にまつわる話題をつらつらと。「暇つぶしのお供」にどうぞ。

三連休の中日、1月13日に赤坂BLITZで、
『海を越えて50年 バラエティ・ショウ“上を向いて歩こう”』を観てきた。

今年、2013年は、坂本九が唄った「上を向いて歩こう」が全米で1位になって50周年。
このバラエティ・ショウは、その50周年を記念して行われたイベントで、
作詞をした永六輔や作曲家の故・中村八大に縁の深い松島トモ子などが出演。
1963年当時の日本のテレビ番組の様子や、
この曲が如何にしてアメリカを筆頭に世界各国で大ヒットしたかを紹介しながら、
何人かの歌手が八大・六輔コンビの曲を歌う内容だった。

「上を向いて歩こう」が生まれたのは、
NHKのバラエティ番組『夢であいましょう』(1961~1966年放送)の人気コーナー、“今月の歌”から。
1960+世代だと朧げに記憶があるかないか...。



我が家だと家にテレビが来たのが1965年だったので、
記憶にあるのがリアル・タイムのものか、後年に再放送されたものかは判然としない。
とにかく1961年に極東の日本で生まれたこの曲が、全米で1位になったのが奇跡的だった事を知った。

そもそもこの曲は先にも述べたようにNHKの『夢であいましょう』の
“今月の歌”の1曲として1961年10月に発表された。
この“今月の歌”からは他にも「今日は赤ちゃん」や「おさななじみ」など、数々のヒットが生まれている。

そしてイギリスのパイ・レコードの社長が契約の話で来日した際、
偶然にお土産に貰った数枚の日本のシングルの中にあった「上を向いて歩こう」を大変気に入って、
帰国後の1962年にジャズ・バンドのケニー・ボール楽団でリリースすることに決めたそうだ。

この辺りの経緯は、由紀さおりの「夜明けのスキャット」が、
アメリカのピンク・マルティーニによってカバーされて、2011年に全米で1位になった経緯とそっくり。
どちらもきっかけは“偶然知って”“気に入った”ことなのである。

で、このケニー・ボール楽団盤が先ずはアメリカで発売され、
その元曲である坂本九の「上を向いて歩こう」が、
比較的日系人が多く居住していたワシントン州パスコのラジオ局で、DJリッチ・オズボーンによって放送された。
これまた彼が“偶然”坂本九のシングルを入手していたからである。

元々は日系人リスナーに向けて曲を放送していたのに、
次第にアメリカ人からのリクエストが増え、他のラジオ局へも徐々に波及。
この状況を知ったキャピトル・レコードのスタッフが、1963年に日本語のままでアメリカでもシングルが発売。

じわじわと全米でヒットし始め、遂にはビルボードで6月15日に1位を獲得。
そのまま3週連続で1位となり、年間チャートでも堂々10位。
ちなみにビルボードで英語以外で歌われている曲が1位になったのは、
1958年の「ボラレーレ」以来2曲目だったそうである。


日本の自動車会社や家電メーカーがアメリカ進出するより前に、
こうして全くマーケティングとは無縁の経緯で、日本の文化が50年前に海を渡って大成功した。

今の経済界やエンタメ業界が様々なデータ分析を踏まえて海外進出を計画する中、
こういうエピソードはもっとポピュラーになったらイイのに...。


そんな想いをしながら、赤坂を後にした。
  wrote by 玉下奴郎  

PS そして昨日=14日の東京は大雪! 家に引きこもり日で良かった...。

【編集人注記】
このエントリーは14日に書かれ、いったん公開しましたが、
「安倍政権での成人式...。」を15日分としたため、16日付に変更し再アップしました。ご了承ください。
早々に拍手いただいた方々、ありがとうございました。
2013年1月14日。
安倍政権になって最初の成人式。

我々1960+世代は成人式の時に、今の若者のように将来に向けて、
いや将来というほど先ではなく、数年後のビジョンに対してすら不安を抱いていたであろうか?

少なくとも身近な友人を含めて、テレビや新聞などのメディアでは、
成人式は祝われていた。手放しで祝われていた。

サントリーが昔から新聞に掲載していた成人式の広告で今年は、
“君たちがうつむき加減のこの国を変えて欲しい”と伊集院静氏が語っている。
新聞広告20130114  (我々の頃は山口瞳さんだったなぁ...)

今年の新成人は全国でおよそ120万人。
結婚情報サービス会社が行った新成人に対する意識調査によると、
親世代に比べて今後の生活が「良くなる」と答えたのは、たった2割弱だそうである。

彼らが生まれたのは1992年。
前年にバブルが崩壊し、1992年には有効求人倍率が1.0を下回る。
いわゆる就職氷河期が始まった時である。(14日の東京の天候が象徴的か...)

偶然にも20年前の1993年の夏に行われた総選挙で、若き日の安倍首相が議員に初当選。

そして20年が過ぎた。

「朝日新聞」の1面には、
職を失いマクドナルドの24時間営業の店で夜を過ごす人々の記事が掲載されている。

20歳=成人
40歳=不惑
60歳=還暦、ちょっと前なら定年...。
20年単位で人生設計を考えられた時代があった。

いつの間にこうなったんだろう。

決して3.11のせいではない、ましてや政治のせいだけにも出来ない、
我々一人ひとりの意識が巻き起こした現実なんだろう。

果たして政権を取り戻した自民党が、
議員として成人式を迎えた安倍氏が、
今年は世の中をどう変えていこうとするんだろう?


  wrote by 玉下奴郎
すっかり正月気分もなくなり、いつもの日常に戻っている。

今年は元旦の実業団駅伝であの柏原選手の走りを観て、
2,3日の箱根駅伝では日体大のドラマチックな優勝、
そして東洋大、早稲田大、帝京大のそれぞれの歓喜の走りを観た。

その感動の走りに触発されたわけではないけれど、今年決めた日課は「一日12000歩」という目標。
僕は相当な気分屋なので、
今までも何回も8000歩、1万歩、など自分の太り具合にあわせて目標に掲げてきた。
そしてなんとなく2ヶ月くらいは続くのだが、それ以上続いた例はなく、
個人的には3ヶ月坊主を自覚してる。(といって罰則は無いのだが、神様はしっかり体重増という形で戒める。)
しかし今年は今年こそは決意あらたに。


実は去年あたりから血圧が140と少し高く、医者には「高血圧症」と診断された。
そしてその時言われた対処方法は極めて単純で「瘦せなさい」ということだった。

また最近は目も少し見えづらくなってきて、眼科の診断結果は「黄班上膜」。
老化からくるものらしいが、これも血圧が影響しているらしく、
これ以上悪化させないためにも血圧を下げたほうがいいらしい。

などなど、自分の体に勤続疲労が相当きているようで。

で、表題の一日12000歩、歩くということを日課とした。
自分の経験上日常の一日の歩数は4-5000歩。少し動く日があって6-7000歩。
んんん12000歩は相当意識しないと達成できない!
そしてそれを継続するとなると?
無謀かもしれない? などなど机の上で考えている暇などない。

というような話をある人としていたら、「100キロ ウォーキング」知ってる?と。
その方は昨年10月福岡県行橋市から大分県別府市までの100キロ ウォークに参加され
完走ならぬ完歩されたのこと。
お昼にスタート、真夜中の峠をひたすら歩き、ゴールは翌日の朝から昼にかけてになるそうだ。
それはそれはもうへろへろのゴールだったらしい。ひえー!
で、調べてみたら確かにあった。昨年で14回目となるらしい。
第一回大会は参加者44名、完歩20名、完歩率45.5%、
それが昨年は参加者3972名、完歩2885名、完歩率72.6%と。
またこの100キロウォークは、房総や筑波、岡山などいろんなところで行われているようだ。
シニアの増加とあいまって益々増えるに違いない。

マラソンには全く自信は無いものの、ウォークはなんとか・・・・・・。
ということで、今年は一日12000歩、そして100キロウォーク大会への参加。やるぜ!

将棋の世界では、歩は、金となる。と金。
僕は考えた。 今年は、歩(あるき)は金(かね)に成ると。 まさに徒金!
(大事な持続のモチベーションだ。)


※12000歩目標にはもうひとつ隠れた意味がありまして。新年早々株価も10800円と明るい兆し。
 株価が12000円くらいになればよいなあと毎日思いを込めて歩こうと。


  wrote by ランシン 

【本日の記録】 体重75.0kg 血圧:上164 下111
年末年始に撮り溜めていた映画で印象に残ったのが『麒麟の翼』。

東野圭吾原作、加賀恭一郎シリーズ第9作目が映画化されたのはご存じの通り。
映画評はいまさらだからやめておくが、
驚いたのが日本橋の翼をもった麒麟像だった。(これもいまさら驚いたのかと言われるけど)

その麒麟像については、東京都公文書館の
【日本橋の麒麟(きりん)像-当館ホームページのロゴ画像について】がわかりやすかった。

耐久性の観点から石造りの橋となった日本橋の装飾として採用されたのがこの麒麟像だ。
日本橋麒麟像

材料は青銅、西洋と日本を融合させた和洋折衷のデザインというが、
麒麟は想像上の生き物だし、そのうえさらに翼まで生やしてしまっている。
出来栄えは素人の僕からみても、荘厳で美しい。
芸術性や職人としての技術力とともに、その遊び心とも言える、想像力、創造力に驚く。
そしてそれを許可した当時の「官」(たぶん旧東京市)に感服する。

現代だったらどうだろう。
コンペでできるだけ安く仕上げる業者を選定し、費用対効果を追求するのが当然のいま、
おそらく却下されたのではなかろうか。

経済的に余裕がないと遊び心は育ちにくい。

例えば、東京ゲートブリッジ。
技術の粋が集められ、デザイン的にも恐竜橋とも呼ばれるその容姿は、
「カッコいい」と言えなくはないが、僕には「美しく」はみえない。

東京スカイツリーもまた「カッコいい」のかもしれないが
東京タワーの「美しさ」には遠く及ばない。

日本橋と東京ゲートブリッジ。東京タワーと東京スカイツリー。
後世まで愛され、語り継がれるのはどっち? 答えが明らかと思うのは僕だけ?


アベノミクスによって「公共事業の大盤振る舞い」が始まる。
景気は回復してほしいけど、おそらく「美しさ」は育たない。
育つとしても、それは日本が本当に再生してからの話だろう。
僕たちは、その姿をみることができるのだろうか。


  wrote by 1961_TM
Music Cruising 〈Play List for Disco〉 ←M-01~21を続けて再生できます。

M-12. Spring Rain [Ups!! Re-mix] / Silvetti
プロデューサー&アレンジャーのBebu Silvetti、1977年の作品。
この曲はディスコやクラブ音楽ファンお馴染みのキラーチューンです。
出だしのピアノからゴージャスなストリングスとホーンが紡ぎ出す、サルソウル・ダンスナンバーです。
電グルの「Shangri-La」の元ネタとしての方が、若い世代には有名でしょうか...。

M-13. Hello Mr. Monkey / Arabesque
1977年デビューした西ドイツの音楽プロジェクト、Arabesque。
どうやら本国より日本での方がヒットしたようです。
一九六丸さんがアップしてくれた映像を観ると、ボーカルの女性陣はかなり可愛い系...。
聞いていた当時はVIDEOを見られる番組なっか皆無だったので、こういう映像は新鮮ですね。

M-14. Le Freak / Chic
もう、玉下が大好きなプロデューサー、ナイル・ロジャース。
彼はカッティングで聴かせるギタリストとしても素晴らしいです。
そして相方のベーシスト、バーナード・エドワーズ。
なんと彼は1996年の武道館公演を終えた夜に、日本で亡くなりました。
  (玉下はそのライブを観ていたんですが、合掌...)
そしてこの「おしゃれフリーク」は彼らの1978年の代表曲。
ちなみにナイルはマドンナやデビッド・ボウイなどのプロデューサーとしても1980年代に大活躍しています。

M-15. Boogie Oogie Oogie / A TASTE OF HONEY
これまたディスコでは鉄板曲。
A TASTE OF HONEYは1971年に結成して、最初のヒット曲であるこの「今夜はブギ・ウギ・ウギ」が1978年。
かなり下積みが長かったバンドです。
でもこの曲が全米で1位を獲得してスターの仲間入り。
またもや一九六丸さんがアップしてくれた映像を観ると、
なんとこのファンキーなベースはボーカルの彼女が弾きながらプレイ!
カチョイイです。

M-16. Hot Stuff / Donna Summer
Queen of Discoのドナ・サマーが1979年に放ったヒット曲。
玉下がドナを知ったのは中学(1975年)の頃に深夜放送で聴いた「Love To Love You, Baby」。

もう、勉強どころではなくなりました。
彼女はこの曲のヒット後にも」「愛の誘惑」「恋はマジック」
「マッカーサー・パーク」「バッド・ガール」など次々とディスコ・ナンバーをヒットさせます。
今回セレクトした「ホット・スタッフ」も当然の様に世界中で大ヒットした曲ですが、
実は冷静に聴くとディスコというよりロック・テイスト。
4http://www.youtube.com/watch?v=3WnMeA6_gX4つ打ちのビートでディスコっぽさを出していますが、イントロなんかは明らかにロックな感じ。
でもドナが唄うとちゃんとディスコになるんですね。

M-17. You Are / Niteflyte
白人ギタリスト と黒人シンガーがマイアミで結成した、オセロのようなユニットがNiteflyte。
今回の選曲の中ではアーティストとしての知名度は低い方だと思うけど、
恐らく楽曲を聴いて頂ければ馴染みのメロディ。馴染みのリズムだと思います。
そう、まだ森くんが在籍していた時代のSMAPのアノ曲の元ネタです。
権利関係はどうやってクリアしたんだろう...。そんな事はともかく、
1981年にリリースしたNiteflyteのセカンド・アルバムは、カチョイイ曲がてんこ盛りです。

M-18. Celebration / Kool & The Gang
1969年にデビューしたファンク・バンド、Kool & The Gang。
彼らの最大のヒット曲がこの「セレブレイション」。
まぁ、1960+世代なら聴いたことがない人は余りいないと思うけど、
この曲の強いところは初めて聴く人だって“お祝い”したくさせる事。(玉下の主観ですが)
誰かの誕生日にStevieのHappy BirthdayやThe BeatlesのBirthdayとかと続けて
この曲を大音量で流せば、そこはもう否応なしにパーリー気分。
ある意味で力技っぽいノリを作る曲ですね。

M-19. Can't Take My Eyes Off You / The Boys Town Gang
そして続くはこれまたアゲアゲでついつい大合唱したくなる曲。
邦題は「君の瞳に恋してる」。よくぞつけたなと思う名邦題だと思います。
オリジナルは1967年のフランキー・ヴァリ。
当然、時代的にもディスコ調ではなかったけど、映画「ディア・ハンター」の前半の結婚式の場面で、
デ・ニーロやジョン・カザールやメリル・ストリープたちが、
明日からヴェトナムの戦地に赴く前日、友人たちと泥酔してこの曲を歌っています。
時を経て1982年にThe Boys Town Gangがカバーして再び大ヒット。
余談ですが玉下は1983年に就職をし、夜な夜な同期の奴らと呑んで騒いではこの曲を大合唱していました。
フランク・シナトラから椎名林檎まで、実に多くのカバーが存在しています。
  (好きな曲だと、つい解説も饒舌になっています。ご容赦ください)
  (セレクトした曲は全て大好きな曲に決まっていますが...)

M-20. Flashdance... What A Feeling / Irene Cara
これはディスコというよりはサントラで大ヒットした曲。
映画の公開は1983年で、主演したジェニファー・ビールスが歌っていると
勘違いした人もいたんじゃないでしょうか?(アイリーンはジェニファーほど可愛くない...)
この頃は「フットルース」「カクテル」「トップガン」など、映画のサントラ・アルバムが大ヒットした時代。
アルバムから次々とシングル・カットされた曲が、文字通り街に溢れていました。
映画を観ていなくても、観た気になっちゃう。
あるいは観ていないと言えなくなっちゃう。
それくらいヒットしたイメージが強いですね。
アイリーンはこの曲でアカデミー歌曲賞とグラミー賞の最優秀女性歌唱賞を受賞しています!

M-21. Everybody Dance Now / C+C Music Factory
最後の曲の定番はバラード...みたいなのが良くありますが、
今はそのまま1曲目に戻ったりランダムに再生したりするし、
そもそも此処での選曲はCDを想定しつつも自由に聴いてほしいので、敢えて元気満開のこの曲にしました。
ClivillesとCole、二人の黒人のユニットでC + C(シー・アンド・シーと読みます)。
とにかくシャウトしている“Everybody Dance, Now!”の声と、
続くシンセのリズムは反則技なくらい気分をあげます。
こういうのはヘッドフォンでも構わないので、
可能な限り大音量で聴くとアドレナリンの分泌が高まる気がしますね。
1990年にリリースされた彼らのデビューアルバム「 Gonna Make You Sweat 」は、
シングルカットされた4曲全てがUSダンスチャートで1位を獲得。 
グラミー賞を筆頭に計34個もの音楽賞を総なめしました。
しかし映像を観ると改めて当時のMC.ハマーとかボビー・ブラウンを思い出しちゃって、
既に30代に突入していた1960+世代としては、ちょっと恥ずかしいです。

********************************************************

今回の楽曲解説はココまで。
解説というよりは玉下の主観が多く入っていますが、
映画でも音楽でも絵画でも、予備知識の有無にかかわらず気に入るものは気に入る。
一九六丸さんが集めてくれたYouTubeで聴いていただくのが一番です。

また機会を観て、次回は“SOUL”でもセレクトしてみます。


  wrote by 玉下奴郎
なんとなく歌舞伎ぽくないですか? それぞれ別々のラーメン店の名前ですが。

どちらも、東京で大好きなラーメン店。
以前京都「たかばし第一旭ラーメン」を報告しましたが、個人的には同レベルで大好きな店。

店の過去の詳しいいことは全く知りませんが、この2店が提供するラーメン、その容姿、味が似ています。
もちろん微妙に違うことは分かりますが、いきなり出されるとフツーの人じゃ区別つかない。
食べてみても区別つかない。
そしてなにより美味い。!
またロケーションも、「喜楽」は渋谷百件棚の道頓堀劇場のちょい先。
かたや「永楽」は大井町東小路飲食店街を少し入ったところと、
どちらも懐かしい昭和の香りがするエリアに存在しています。

喜楽と永楽s

みた目は決して美しくない黒っぽいスープ、
その中に浮く焦がしネギと浸かる黄色っぽい中太平打ちストレート麺、
そしてシャキシャキもやしと、半玉味玉。そして、チャーシュー。
シンプルなビジュアルがこれまたいい。

さて肝心なそのお味ですが、この黒っぽいスープは実は思いのほかトリガラ系のあっさり。
これに焦がしネギの香ばしさが実に相性いい。
麺はもちっとして、つるっとした食べやすい平麺。このスープと一緒に喉を通る味と食感が堪らない。
ざっくり2店のラーメンの共通項。

こんなラーメンが好きなこと自体がもはやオヤジなのかもしれないが、それで結構。
「食べログ」などを読むと並んでまで食べるラーメンではないとおっしゃる方がいらっしゃるが、
僕は並んでまで食べたい、それで結構。
場所がなんとも悪いんじゃないという方もいらっしゃるが、僕はこの両エリアにどっぷりつかりたい、等々。
ぜひ、この2店ハシゴしてみてください。(渋谷⇔大井町)

実は、「喜楽」も「永楽」も餃子や焼き飯やちょっとしたおつまみもあるが、
僕はラーメンだけを食べラーメンだけに満足することがベストと思う。
他のものも決して不味くはないんだけど、ラーメンのありがたさが薄れるようで。

昨今、ラーメンのニューウエーブがどんどん出現する中、
この「喜楽」と「永楽」、僕は敢て「クラッシックラーメン」と呼びたい。
この2店、お互いこのままこの場所でこの味で(この価格で)すっと変わらずにいてほしい。


1960+世代の皆様、どうぞご意見聞かせてください。
また、この2店の歴史をご存じな方、ぜひ教えてください。
よろしくおねがいします。


  wrote by ランシン
正月もあけて、日常がどっと押し寄せてきました。
3人ともなにかと忙しい(たぶん)・・・ということで、「忙しい」をテーマに筆休め6です。


--------- 何かをさせようと思ったら、一番忙しい奴にやらせろ。
        それが、事を的確に済ませる方法だ。

               ナポレオン (フランス皇帝)

そうかもしれないけどさぁ、やらされるほうは大変なんだよね。

--------- 忙しい人でなければ怠惰を味わうことはできない。
               ジェローム・K・ジェローム (イギリスのユーモア作家、戯曲家、エッセイスト)

そう、ONとOFFって大切ですね。
ではまた明日。

  wrote by 1961_TM
僕がこの数年でハマった、そうハマったという表現しか思いつかないのが、北方謙三の『水滸伝』。
あまたの水滸伝と区別するためか、『北方水滸伝』と呼ばれている。
全19巻。別冊の『替天行道』と併せて20巻。
水滸伝
僕はこれを何回読み返しただろう。5回は優に超えているはずだ。

読む本がない・・・1960+世代からよく聞かれる言葉だが、僕もそうで、
本棚から古い本を引っ張り出しては読み返していたが、さすがに飽き足らなくなってブックオフへ。
そこで見つけたのが、『北方三国志』だった。

北方謙三は嫌いじゃない(若いころはむしろ好きだったかな?)。
だけど中国史もの・・・しかも『三国志』・・・しかも何巻もある・・・まぁ、しばらくは時間がつぶせるかも・・・
で、買った。
買ってしまった。しまった、ハマった。大変だ。

当時まだ連載中だったため、全13巻のうち後半は文庫化を待てずにハードカバーを買うハメに。

読了後、すぐに手を付けたのが『北方水滸伝』。
全19+1巻。あっと言う間だった。

これが記念すべき第1巻。

実を言うと三国志も面白くて何回も読み返したのだが、この水滸伝にはかなわない。
さらに水滸伝は、続・水滸伝『楊令伝』(全15巻)。
さらにさらにその続編の『岳飛伝』はいまも連綿と続いている。
もう勘弁してくれ・・・待ちきれん・・・

それだけではない。
水滸伝の主人公のルーツが描かれた『楊家将』(上・下巻)と
その続編『血涙 新楊家将』(上・下巻)に至っては、もうぶっちぎりの面白さなのだ。
ううっ・・・ああ、冷静になれない・・・
『北方水滸伝』を書こうと思ったのに、もうこんなに長い。(だからタイトルは「序章」)


ぜひ1960+世代には読んでほしい。
  (僕も2人くらいハメた人がいて、先にハマっていた1人と併せて3人。話すのが楽しくってしょうがない!)
馬鹿な男どもの馬鹿な戦いのドラマと言ってしまえばそれまでだが、
もう親子2代にまで連なる大絵巻。青年の気持ちで読んでいたのに、いまや親の目線で読んでいる。

北方ハードボイルド的男の生き様が焦点になるのだが、そんな馬鹿な男の「女性感」もまたいい。
失って初めてわかる大切さ・・・なんていう大馬鹿な男がいたりして、
愛おしいったらありゃしない。にくいねぇ、北方さん!


ああ、ほんとに序章だけになってしまった・・・
ではこの件はまた後日!


  wrote by 1961_TM
Music Cruising 〈Play List for Disco〉 ←M-01~21を続けて再生できます。

M-01. My Girl / The Temptations
シンプルなギターのイントロから、“I've got sunshine on a cloudy day.”と始まる。
どんだけ恋人が好きなんだ!
とつっこみたくなるくらいシンプルなラブソング。
1964年にリリースされて、テンプス初の全米NO.1を獲得した曲です。
本来はDISCOでの真ん中でプレイされるチークタイムの定番ですが、
肩慣らし的にクラシックなこの曲から幕開けです。
一九六丸さんがアップしてくれた映像が嬉しいですね。

M-02. Think / Aretha Franklin
永遠のソウル・マザー“アレサ”が1968年にリリースした楽曲。
玉下はリアルタイムでは知りませんでしたが、
1980年に公開された映画「ブルース・ブラザーズ」でこの曲に出会い、一発でノックアウトされました。
ちなみに「ブルース・ブラザーズ」のサントラ・バージョンはこちらです。


M-03. Venus / Shocking Blue
ここからしばらくは鉄板のディスコ・チューンが続きます。
若い世代にはバナナラマのカバーがおなじみだと思いますが、オリジナルはこちら。
本国オランダで1969年に発売されたこの曲が、翌年に全米で1位を獲得。
典型的な一発屋さんですが、オランダでは1位になっていなかったそうです。
これまた一九六丸さんがアップしてくれた映像がグッド。

M-04. Kung Fu Fighting / Carl Douglas
オランダに続いて、今度はジャマイカ。
1974年に発売されたこの曲は、当時流行っていたカンフー・ブームに乗って、全米と全英で1位になりました。
ジャマイカ出身のアーティストとしては、ボブ・マーリーより先に世界で有名になったんですね。
YouTubeの映像、不思議なジャパニーズ・テイスト。
カンフーを勘違いしたのかなぁ...。粋な盆踊りみたいです。

M-05. Soul Power '74 / Maceo & The Macks
サックス・プレイヤーのメイシオ・パーカーの楽曲。
彼は元々ジェームズ・ブラウンのバンド“JB'S”で有名になったんですが、
この曲は余りにも数多くのサンプリング・ネタにされていて、
曲名は知らなくても聴いたことがある方が多いと思います。
ああ、JBは必ずVol.2で選曲をします。

M-06. That's The Way(I Like It) / K.C. & The Sunshine Band
ん~、鉄板中の鉄板。もうエコーの効いたイントロを聴いただけでワクワク!
あまり知られていないんですが、この“K.C.”というのはH.W. Caseyという白人なんです。
  (映像で出ている軟弱そうなお兄ちゃん)
1975年の発売されたこの曲は全米でNo.1になりました。
実は1975年から76年にかけての1年間でNo.1を3曲出したんですが、
これは1964年のBeatles以来の快挙だったんですね。(映像では「Shake, Shake, Shake」も聴けます)

M-07. Can't Give You Anything (But My Love) / The Stylistics
我々の“1960+”のブログで、一九六丸さんが記念すべき最初にこの曲を取り上げていました。
“リムジンは買えないけど、愛を上げるよ!”
余りにも美しいラブソング。
GATSBYのコマーシャルで替え歌が起用されたから、若い人にも聴き馴染みがあるかもしれませんね。
1975年にこの曲は大ヒットしたんですが、なんと彼らは今でも現役で活動をしています。

M-08. Don't Leave Me This Way / Thelma Houston
1977年にソウルとポップスの両部門で全米No.1を獲得した名曲。
典型的なゴスペル唱法で、最初は抑え目ながらも徐々に盛り上がって、
ピークになると稲妻のようにシャウトするスタイル。
M-07からM-08でフロアは一気にアゲアゲになってください!

M-09. The Hustle / Van McCoy & The Soul City Symphony
少しクールダウン...。でもまだ心拍数は下がりきりません。
これまた鉄板のディスコ・チューン。ああ、もう腰が勝手に動いちゃいますね。
バン・マッコイは元々プロデュースや作曲がメインなんですが、
1975年に発売したこの曲が全世界で1000万枚の大ヒットを記録。
世界中でディスコブームを巻き起こすきっかけになりました。
一方で吹奏楽をやっている人の間では、「アフリカン・シンフォニー」の作者としても有名です。

M-10. Get Up The Boogie (That's Right) / Silver Convention
さぁ、また少しずつBPMが上がってきます。
「フライ・ロビン・フライ」でヒットを飛ばしたセクシーな女性グループ。
この曲は1976年のヒットなんですが、彼女たちはドイツでスタジオミュージシャン達が作ったユニット。
M-03のショッキング・ブルー同様に、アメリカのチャートには世界中の楽曲が出ていて、
それが日本に輸入をされていたんですね。

M-11. Runaway feat. Loleatta Holloway / The Salsoul Orchestra
ウキウキするギターのカッティングから始まるこの曲。
聴いたことがあるけど曲名やアーティスト名は、それほどポピュラーではないかもしれません。
ゴスペル・シンガーとして活動を始めたロレッタ・ハロウェイは、
1970~80年代を中心にソウル/ディスコ・シンガーとして活躍しました。
この楽曲は総勢50名にもなるサルソウル・オーケストラが、ロレッタをボーカルに迎えてヒットした1977年の作品です。

*********************************************

mmm、レコードのフォーマットだとこの辺りでA面が終わります。
ブログもあまり長いと良くないので、
今回の楽曲解説はここまでで一旦休憩。

B面は次回...。


  wrote by 玉下奴郎
実はこのブログを書いている今は6日の日曜日です。
アップ上の物理的時間的なこともあり前日に書いております。
そう、明日から仕事始めなんですね。

そんな気分の中、ぼんやり考えていて、そもそも1月7日ってどんな日なんだろうと。
七草粥を食べる日くらいは知ってるぞと思いつつ・・・。
そしたら・・・・・思い出してきました。

1989年1月7日、いまから24年前のこの日は、「昭和天皇が崩御された日」。
この日は早朝TVがそのニュースを伝え民放もすべてニュース、追悼番組のみの特別放送体制でした。
僕はその日朝からTVにセットされたビデオデッキにかじりつき
10本ほどのVHSテープを準備しながら、、
「特別な一日」を記録(気持ち的には録画ではなく)しました。
午後には、当時の小渕官房長官から新年号が「平成」と発表されました。
この1989年1月7日が昭和最後の日で、翌8日が平成最初の日ということになりました。

この日を迎えるまで、僕は「Xデー」という言葉で
国全体が行事やイベントを自粛するといった空気を体験しました。

日産のセフィーロのCMで井上陽水の「お元気ですかぁ~」が口ぱくになったり、
星野中日ドラゴンズの優勝が、祝賀会ではなく慰労会になったり。
具体的なことはあまり覚えてないけど、
東京に住む僕にとって数ヶ月の「自粛ムード」は明らかに特異な空気感だったことは覚えています。

「崩御」「大喪の礼」という日ごろまったくなじみのない言葉に、
なんとなく新鮮さや不思議さを感じるとともに、日本国とか日本人とかいう
アイデンティティをあらためて考えさせられた記憶があります。


平成25年、あの日から25年目を迎える今年は平成も四半世紀ということですね。
考えてみれば、TVをはじめとするメディアで「懐かしの昭和」といったり、
そもそも我々も「昭和の製品」について思い出深く語ったりしてますが、
そりゃ30年も前のことなんだもんなあとあらためて思います。


あの日を記録したVHSの数本は確か実家の倉庫に眠っているはずですが、
今となっては再生できないと思われます。
  (あの日は自分の生きた証として記録し、年取ってから懐かしくみるつもりでした。
   だから録画でなく、記録だったのですが。)

一方、以下に添付しましたが、今は、あの日をユーチューブで簡単に一瞬で確認できるようになりました。
  (そのこと自体にとても驚きますし、あの日の僕の行動はなんだったんだろうと・・・・・)
ただ、あの空気の中にいた体験・実感は、さすがに映像では伝わりません。
このことが何より大事なことかもしれません。


平成25年はまたまた新たな政治のスタートですが、
そろそろぱっと明るい日本になることを期待しつつ7日を迎えたいですものです。

さいごに、「平成」とは国の内外に平和が達成されるとの意、ということで。




  wrote by ランシン