1960+(50代3人による暇つぶしのお供) -55ページ目

1960+(50代3人による暇つぶしのお供)

玉下奴郎とその仲間たち、計3人のブログ。 音楽、映画、書籍、時事などなど、50代(1960+世代と呼ぶ)にまつわる話題をつらつらと。「暇つぶしのお供」にどうぞ。

以前、1961_TMさんが“ひらがな入力”について書いていましたが、
今回は玉下のタイピングについて...。

若い人が電車の中でスマホのフリック入力(「あ」を押して上下左右に「い・う・え・お」が表示される)を、
信じられないスピードでやっているのを見ることがあります。
 (決して画面を見ているのではなく、あくまでも指を見ています...)
flick.png

少なくとも数年前にはそんな入力方法なんて存在していなかったのに、彼らの順応性には驚きます。

その前でも普通の携帯電話で両手を素早く動かしてメールを打つ女子高生を見たり、
 (この場合も指しか見ていません。しかも女子高生と特定する必要もないですね)
とにかくこういう技術の習得はオジサンには真似ができません。

素早くタイピングをする=思考の速度と入力の速度が近づく、という訳ですね。

何かアイディア考えたり、ある程度の長さの文章を書くとき、
当たり前ですが以前は鉛筆とかボールペンで紙に書いていました。
その時に思考の速度と書く速度なんてことは、考えたことがありませんでした。

で、今回の本題。
キーボード入力です。

玉下が高校に入った時、欲しかったもの。
ギターとか据え置き型のカセットデッキとかを思い出すんですが、そんな中にタイプライターがありました。
type_writer.jpg

友達の家に遊びに行ったとき、カセットのINDEXをタイプで打っていたんです。
“おっとなぁ!”な感じでした。
彼はその時、既にブラインド・タッチで視線を紙から動かさず、
つまり指先を見ずに10本の指を軽やかに駆使してタイピングをしていました。

映画を見に行くと、当然の用に外人さんはタイプをブラインド・タッチで打っています。
日本の小説家のイメージは原稿用紙に万年筆ですが、欧米だとなんとなくタイプライターをバシャバシャ...。


「ジュリア」という映画で、ジェーン・フォンダが咥えタバコでタイプを打っているシーンを覚えていますが、
彼女のタイピングはすべて人差し指だった記憶があります。
それでも速い!
その無骨さがカッコ良かった!

とにかく高校に入学した玉下は知り合いから中古のタイプを購入しました。
夜な夜な、持ってるレコードのリスト作りに励んだんです。
タイプする題材はなんでもよく、別に英語のレポートで手書きが禁止されているわけでもなく、
ふと思ったのがリスト作り。
アルバム名・アーティスト名・曲目・作詞・作曲・参加ミュージシャン...。
とにかくジャケットに記載されている文字情報を片っ端からタイピングして、タイプ・ライターに馴染みたかったんですね。

その時に友達から教わったのが指の練習テキスト。
左人差し指が「F」、右が「J」。これがホーム・ポジション。
そこから親指を除く8本の指それぞれの守備範囲をひたすら順番に打つ練習。
これを習得すると憧れのブラインド・タッチが出来る。

結局、数か月で断念しました。

いや、別に指先を見りゃいいじゃん。
そんなに急ぐ必要なんかないし、指をみて速く打てりゃいいじゃん。

そんな感じですね。


時は流れてPC時代の到来。1990年代の中盤くらいかなぁ...。
再び周りでブラインド・タッチが出来る人間と出来ない人間が明確に分かれます。

帰国子女の若いこなんかは、ワープロを打ちながらこちらを向いて、
「玉下さん、そういえばこの前...」と話しかけてくる。
その間に指はキーボードを素早く叩いて文章を打っているのに...。

この時は「もぐら叩KEY」なるPC用のゲームが流行りました。
当然、ブラインド・タッチの練習ソフトです。

でも、この時も習得できなかったんですね。というよりも、高校の頃から大人になっても、
地道な努力の積み重ねで技術を習得するのが苦手だった訳で...。

今も夜中に画面と指先を交互に見ながらこのブログを打っています。

だんだん、思考する速度がタイピングする速度に合わせられている気がします。


遅いじゃん!


【本日の一曲】 「狙い撃ち」by 山本リンダ


1973年のヒット曲ですが、この時の山本リンダは21歳!
今の感覚だと考えられないくらい大人っぽかったなぁ!
 ※編集人注:玉下さん指定のYouTubeは埋め込み禁止でしたので2011年の動画です。

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スライド12  wrote 玉下奴郎
さらに筆休めは続く・・・

暑いわ、忙しいわ、もーたいへん。
でも、負けるもんか。

で、がんばれ俺たち。と、応援歌。

「We Will Rock You」 Queen
 元気と勇気が湧くテッパン曲。Rock You !


「SOMEBODY'S NIGHT」 矢沢永吉
 あんまり聴かなかったけど、やっぱすごいおやじだ!
ライブもいいけど、このPVはかっこいい。


「Go West」 Pet Shop Boys
 この曲は2度目の登場。西へ行け!
あの頃がっくり落ち込んでいる僕だったが、ランシンさんのなにげない記事(その記事はこちら)に元気付けられたのだ。



【本日おまけの1曲】 聴くのは昔の曲だけじゃない(笑)

「ミセナイナミダハ、きっといつか」 GReeeeN
 クルマでひとり大音量で聴くと、かなり元気になる。

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スライド8  wrote by 1961_TM
ここ数日、暑い日が続きます。
こんな時には、目には目を、いや暑い夏には暑い音楽で。


「赤道小町ドキッ」 山下久美子


「涙の太陽」 安西マリア


「世界でいちばん暑い夏」 プリンセスプリンセス



みなさん、熱中症には気をつけましょう!


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スライド8  wrote by ランシン
帰省の運転疲れで、回らない頭がさらに回らないので、筆休め。

いまウィンブルドンをテレビ観戦しているので (いま7月7日の深夜です)
ウィンブルドン男子シングル優勝者を1970年から羅列しよう。懐かしい名前がずらり。

1970年 ジョン・ニューカム
1971年 ジョン・ニューカム
1972年 スタン・スミス
1973年 ヤン・コデシュ
1974年 ジミー・コナーズ
1975年 アーサー・アッシュ
1976年 ビョルン・ボルグ
1977年 ビョルン・ボルグ
1978年 ビョルン・ボルグ
1979年 ビョルン・ボルグ
1980年 ビョルン・ボルグ
1981年 ジョン・マッケンロー
1982年 ジミー・コナーズ
1983年 ジョン・マッケンロー
1984年 ジョン・マッケンロー
1985年 ステファン・エドベリ
1986年 ステファン・エドベリ
1987年 パット・キャッシュ
1988年 ステファン・エドベリ
1989年 ボリス・ベッカー
1990年 ステファン・エドベリ
1991年 ミヒャエル・シュティヒ
1992年 アンドレ・アガシ
1993年 ピート・サンプラス
1994年 ピート・サンプラス
1995年 ピート・サンプラス
1996年 リカルド・クライチェク
1997年 ピート・サンプラス
1998年 ピート・サンプラス
1999年 ピート・サンプラス
2000年 ピート・サンプラス
2001年 ゴラン・イワニセビッチ
2002年 レイトン・ヒューイット
2003年 ロジャー・フェデラー
2004年 ロジャー・フェデラー
2005年 ロジャー・フェデラー
2006年 ロジャー・フェデラー
2007年 ロジャー・フェデラー
2008年 ラファエル・ナダル
2009年 ロジャー・フェデラー
2010年 ラファエル・ナダル
2011年 ノバク・ジョコビッチ
2012年 ロジャー・フェデラー

大学時代、テニスを齧っていた僕のヒーローは、マッケンローとコナーズ。
イワン・レンドルも大好きだったけど、ウィンブルドンだけは優勝できなかった。

そのレンドルの教え子、アンディ・マレーが、ノバク・ジョコビッチと対戦中だ。
どちらが今年の芝の王者になるのだろうか。


【本日の一枚】 STAN SMITH
STAN SMITH

1972年のウィンブルドン覇者の名を冠したスニーカー。
定番中の定番として、誰でも1回は履いたことがあるはず。


【7月8日 追記】
アンディ・マレー、優勝おめでとう!
僕は今大会の結果を受けて、
ロジャー・フェデラーが世界ランキング5位に後退というニュースに時代の流れを感じています。
ロジャー、がんばれ!


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スライド8  wrote by 1961_TM
この記事がアップされる6日、僕は帰省しているはずだ。

父の一周忌。
10日ほど早く行うことになったのは、お寺や施設などさまざまなスケジュールの都合もあったが、
この日が父の誕生日であることが、母のたっての希望だったのだ。

父が家を継いだ「本家」筋だったこともあり、小さい頃は、なにかと親戚が集まる家だった。
父方の親類はもちろん、母方の親類のところにもよく泊りに行ったし、とても仲のいい「一族」だったと思う。

「一族」とは父や母は変わらず仲良くしていたが、僕たち子供たちは大学以降、その交流は少なくなり、
特に3人兄弟でただひとり関東に出てきた僕は、もっとも疎遠になっていった。

1年前、父の葬儀で一同が会した。
もう数が少なくなってしまった親族縁者、僕たち兄弟とその孫たち。
久しぶりだった。懐かしかった。
僕は末っ子だったこともあり、この歳になったいまも、みんなから「ちゃん」付けで呼ばれる。
もう成人している甥や姪たちからは、昔のようにパッパとは呼ばれず「おじさん」になったけど。
  (タバコを吸うから「パッパ」なのだった・・・笑)

その時に思った。冠婚葬祭はちゃんとやったほうがいいのだと。

大人になって、離れて暮らしていることを言い訳に、いっぱい恩を受けた親戚たちに会える機会はとても少なくなった。
そしてその不義理を埋める機会が「葬儀」だけというのは、とても悲しい。
葬儀のときに、「●●(父)のおかげで、みんなに久しぶりに会えてよかったよ」と伯母が言った言葉が忘れられない。
こうも言った。
「次に集まれるのは私の時かねぇ」・・・だとしたら、その場に伯母はいない。
おときイメージ ※法要後のお斎(おとき)のイメージ。こんなに立派じゃないけど。


数年前、兄の長男、つまり僕の甥が結婚したのだが、いまどきの流行りで、北海道で結婚式を挙げた。
参加者はお互いの両親だけ。
彼らの祖父母(僕の両親)や、僕らは参列しなかった。

父も母も、口には出さなかったが、孫の結婚式に参列できない寂しさはとても大きかったと思う。
反面、僕は、多忙を極めていたこともあり、ホッとしたことは否定しない。
が、いま思えば、そうした「ハレ」の場で親戚一同が集まれなかったのはとても残念なことだったと気づかされた。
冠婚葬祭は、本人のためだけでなく、集まってくる人たちのためでもあるのだ。

僕の甥が、トップバッターとして「小さな結婚式」を挙げたことによって、
他の甥や姪も後に続くかもしれない・・・
うちの子供たちの時には、みんな呼びたいと思うが・・・


ともあれ、今日6日。
みなさんがこれを読んでくださっている頃、しっかりと「一族」とともに亡き父を偲んでいようと思う。
「ちゃん」付けや「おじさん」と呼ばれながらね。


【本日の一本】 お葬式


1984年公開、伊丹十三の初監督作品。
もう30年も前だったのか・・・公開された時は、まったく実感なく観ていたなぁ。


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スライド12  wrote by 1961_TM
久しぶりに左肩痛及左腕痺日記を再開。
いやぁ、相変わらず痺れて痛くて困っていますが...。


前回までのあらすじ。
人生2度目のMRIで、余りに痛さにSOSボタンを押して検査を中断したところまでが前回。

検査の数日後のアポイントメントに従って、再び●●病院の整形外科を訪れました。
もちろん、その時も肩や背中には激痛が走っています。
(大げさに聞こえますが、痛さの波がひどい時は鈍痛ではなく激痛です)

で、お馴染の患者の顔を見てくれない先生。
MRIの結果が映っているモニターに向かって...、

「ああ、検査の時に怖くて中断をしたんですってね。
 ほらカラダが動いているから画像が途中からブレているんですよ」

ああ、背中の激痛が脳みそに達した。

「先生、怖くてではありません。
 痛みがひどくなったので中断をして貰ったんですが...」

こうやって患者と医者の信頼関係は損なわれていくのか...。
それとも治療をしてくださる医者に対して、
患者は常に謙虚でへりくだって反論をせず従順でいなければならないのか...。


「で、どうですか?その後の痛みは...?」

え?先日の薬を飲んでいれば治る、あるいは緩和される痛みという認識...?

「いや、全く変わらずです。今でも痛くて困っています」
「ああ、MRIで見るとわかりますが首のヘルニアですね。
 ほら●番目と●番目の関節の幅が他と比べて狭いでしょ。
 これが原因です。
 首、牽引しましょう」

勿論、先生の話相手はモニターですが...。
Doctot Image ※イメージです。

「牽引、数回で効果を感じられないからと言って中断する人が多いですが、
 週に2~3回を何カ月か続けないとダメですよ。」

とにかく玉下は藁をもつかむ思い。
前の先生の言われた肋骨云々には一言も触れず、素直に牽引を受ける事にしました。

でも、首の牽引の現場でも更に背中+脳みそに激痛が走りました。


続きは“その七”で...。


【本日の一曲】 「Get Up Stand Up」by Bob Marley


“Get Up, Stand Up ! Stand up for your right”
“Get Up, Stand Up ! Don't give up the fight”
いやぁ、シンプルで強いメッセージです。

【関連エントリー】
■ 左肩痛及左腕痺日記、其之壱
■ 左肩痛及左腕痺日記、其之貮
■ 左肩痛及左腕痺日記、其之参
■ 左肩痛及左腕痺日記、其之四
■ 左肩痛及左腕痺日記、其之伍

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スライド10  wrote by 玉下奴郎
北方水滸伝~序章」を書いたのは、5ヵ月前。
序章と題したまま、ほっておいたが、その水滸伝熱が冷めたわけではない。

北方謙三の中国歴史小説「大水滸シリーズ」は、
『水滸伝』(全19巻)、
『楊家将』(上・下巻)と、その続編『血涙 新楊家将』(上・下巻)、
続・水滸伝の『楊令伝』(全15巻)からなっているうえ、さらに『岳飛伝』は、いまだ執筆中・・・

ブログ「北方水滸伝~序章」を書いたときは、『楊令伝』が月に1巻ずつしか発売されないことに苛立ちながら
入手するやいなや貪るように読んでいた時期だった。
もうあの苛立ちは御免だ。
『楊令伝』の続編『岳飛伝』には、手を出すまい。最終巻が出た瞬間に、全巻買うべし、なのだ。

が、しかし、魔が差した・・・油断した・・・

『史記 武帝紀』を買ってしまった。
史記

全7巻のうち、まだ、2巻しか文庫化されていないのに買ってしまったのだ。
1週間ももたず読了。
『三国志』(全13巻)の時のように、待ちきれずに途中からハードカバーを買ってしまう轍は踏むまい・・・苦しい・・・
1か月に1巻ずつ発売されたとしても、読了できるのは5か月先か・・・く、く、苦しい・・・


本日、本屋に立ち寄った。もちろん『史記』3巻は発売されていない。
禁断症状を緩和すべく購入したのが、こちら。
終わらざる夏_モルフェイスの領域

浅田次郎『終わらざる夏』(上・中・下巻)
これは、浅田次郎の「終戦もの」に分類される。電車の中で、また泣かされるのだろうか・・・気を付けよう。
そして、海堂尊『モルフェイスの領域』
ご存じバチスタシリーズの最新ですね。はじめのほうが面白かったなと思いつつも、出れば買ってしまう。

これでしばらくは、「飢え」を満たせそうだ。
そこでまっすぐレジに向かえばいいものの、ついつい別の平積みの中に・・・
望郷の道

「すべての北方作品は、この小説を書くためにあった」
なんという宣伝文句だ・・・買うしかあるまい。出版社の思惑にまんまと、喜んで、のせられることにしよう。


北方謙三の中国歴史小説シリーズは、水滸伝のほかに、三国志や史記もある。
それだけでも、想像を絶する執筆量なのに、直木賞の選考委員も務めたり、
もちろん(おそらく)ハードボイルド・ライフも続けているに違いない。(そうであってほしい)
それなのに、また他にも書いているとは・・・脳内と体力は、どうなっているのだろう?

北方謙三、1947年10月26日生まれ。
・・・北方先生、僕たち1960+世代は、まだまだ未熟な若輩者でございます。


【本日の一曲】 「久遠の河」 alan
映画「レッドクリフ Part II」全世界主題歌


また『三国志』を読み返そうかな・・・

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スライド3  wrote by 1961_TM
またまた“左肩痛及左腕痺日記”から外れます。

要はこうやってBLOGを書いている今が痺れている時なので、
そういう時には冷静に、あるいは客観的にその状況を受け入れられないから...。
だから違う話題を考えたいんです。

で、今回は久しぶりに読書日記。

「東京アンダーナイト」というドキュメンタリーです。


1960+世代だと、力道山が赤坂のクラブで刺された事件を余り詳しくは知らないと思います。
でも、赤坂のホテル・ニュー・ジャパンが1982年に火災を起こし、
33名の命が奪われた事件は記憶に新しいと思います。

この本は、昭和を代表するナイトクラブ“ニューラテンクォーター”の経営者だった著者が、
このお店を訪れた様々な有名人にまつわるエピソードを書いたものです。

先ず冒頭で紹介されたのが、力道山事件。
この稀代のプロレスラーが高度経済成長時期に日本人に与えた功績は、
例えば映画「三丁目の夕日」の街頭テレビの場面でも紹介されています。
そうそう、我々1960+世代だと街頭テレビにはリアリティを感じません。
どちらかというと初めてカラーテレビを観た時の印象は鮮明に覚えていますが...。

で、その力道山が酔ってヤクザに刺されたのが、この“ニューラテンクォーター”。
筆者はその現場の目撃者であるだけではなく、以前からお店の常連だった力道山と既知の間柄。
当時の警察の取り調べでは明かせなかった真実が、この本の冒頭で詳しく語られている。

そこから時代が遡り、
1935年に福岡で生まれた著者がいかにして赤坂でクラブを経営したのか?
“アンダー”と表題にある戦後の裏社会の事情を交えて、かなりの実名も含めて書かれている。

登場する数多くの映画スター、内外の歌手、スポーツ選手、やくざ。
なんと皇族までが当時の店内で撮影した写真も含めて掲載されている。

余談だが玉下が大学生の頃に師事していた空手の師範も、
しっかり写真が出ていたのには驚きと懐かしさで思わず手が止まりました。

個人的に一番面白かったエピソードは怪優“勝新太郎”と著者との交流。
勝新太郎

勝新といえば1990年にハワイの空港で、下着にマリファナとコカインを入れていて現行犯逮捕され、
記者会見で「今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」という名せりふがある。
座頭市の映画を見たことが無い人はいても、このセリフは覚えている人が多いのではないでしょうか?

その勝新と著者の兄弟のような無邪気なやり取りや、役作りに入る際の他人には見せない鬼気迫る行動など、
この本の後半1/3くらいは勝新に割かれていた気がする。

1960+世代よりは少し上の人が読むともっとリアリティがあるのだろうが、
とにかく昭和の“アンダーナイト”を垣間見られる内容だった。


ちなみに冒頭に書いたホテル・ニュー・ジャパンの地下にこの店があった。
ホテルの火災の数年後、昭和が終わった1989年にお店は閉店した...。


【本日の一曲】 「コモエスタ赤坂」 和田弘とマヒナスターズ
ムード歌謡...、不思議なジャンルだよなぁ。
コモエスタって、どういう意味なんだろう?


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スライド3  wrote by 玉下奴郎
最近、耳から離れない曲、Take Five。
今日は筆休めとして、そのTake Five集をお送りします。

まずは、本家本元。


Take Fiveについては、玉下さんの『哀悼、デイヴ・ブルーベック...。』をぜひ読んでみてください。
なるほと、この曲は5拍子だったのか・・・
僕は、その玉下さんのエントリーの末尾にあるアリナミンVのCMの印象が強かったな・・・

どうして、Take Fiveが耳から離れなくなってしまったのかは、みなさんもおわかりのように
テレビドラマ「Take Five」のせい。終わってしまったのは、はなはだ残念。
ドラマというより、その楽曲が聴けなくなったことが、もっとも残念なのですが。

ということで、ドラマ内でJUJUが唄っていましたね。
 このPVは必見。スヌーピーが出てきます!

しかし、JUJUって、決して美人ではないし、歌もすごーく上手いわけではない。
なのに、いいんだよなぁ。

 中国の女性ジャズシンガーによるTake Five。

 もう一人女性シンガー。しぶい!

 George Benson様! ナベサダとともに!感涙。

 津軽三味線バージョンもありました! けっこういいです。

 中近東(?)のオーケストラ。あのギターのような楽器、なんていうの?

 Big BandによるTake Five。
そのままMission Impossibleのテーマ曲に移行します。
この曲も5拍子なんですね。


【本日のおまけの一曲】 「マルサの女」のテーマ曲
 この曲も5拍子!


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スライド8  wrote by 1961_TM
明日から7月となる。はやいものだなあと、つくづく。
歳を取るとほんとうに、時間も早く過ぎていく感じがする。

さて、最近三人で考えていることを少しだけ。

まずはちっちゃいイベントを、と思考中。
どこか協力してもらえる店を探して、1960+世代の皆さんに声をかけて、
そこで80’sの懐かしの曲をがんがんかけまくりながら、
さらに80’sの懐かしの映画のクライマックスシーンをスクリーンに映し出したりして、みんなで盛り上がれたらなぁと。
POPEYEやGOROやスクリーンやロードショーなんかも並べちゃったりして。

なーんて考えるのは簡単、実行するのはたいへん。なもんで、只今、奮闘中!

サザンも復活するし、うかうかしておられません!


【本日の一曲】 行くぞー!って元気になる曲を!
ブルース スプリングスティーン&Eストリートバンド 「BORN TO RUN」


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1960+Nightアイコン  wrote by ランシン  

【本日の記録】 体重73.7kg 血圧:上146 下119