電車の窓に映る自分の顔を見て、ふとよぎる。
——もう、遅いのかもしれない。
誰かのスタートダッシュや、年齢の数字や、積み上げられた実績。
比べようのないもの同士を並べては、ため息が小さくこぼれる。
だけど思う。
「遅い」の正体は、ほんとうに“時計の針”だろうか。
多くのとき、それは自分を急かしてきた昔の声だ。
「置いていかれるよ」「今すぐ決めて」「
その声のおかげで、守れたものもある。
でも今は、別の速さで進む力を手に入れつつあるのかもしれない。
遅れて来た人には、遅れて来た人だけの特権がある。
- 選べる——すでに自分に合わない道が分かっている。
- 捨てられる——必要なものと不要なものの見分けがつく。
- 深くできる——急いで広げないぶん、ひとつを丁寧に育てられる。
若さの勢いに勝てない日があっても、
経験の眼差しでしか見えない景色が、必ずある。
私たちは“遅れて”来たのではない。
自分のタイミングでここにたどり着いたのだ。
夜、机に座る。
TODOの山は見ない。
代わりに、紙を一枚。
今日の一歩を一行だけ書く。
「問い合わせを1通」「見出しを3本」「整理を15分」。
それを終えたら、ペンで静かに丸をつける。
小さな丸が、やがて道になる。
遅いからこそ見える道だって、世界にはちゃんと用意されている。
もし今、喉の奥で「もう遅いかな」がくすぶっていたら、
その声に“ありがとう”を。
焦りから守ろうとしてくれていたのだと分かったら、
私の速さに戻って、半歩だけ出す。
いまの速さで踏み出す半歩でも、行きたい場所には十分届く。
✍️ 今日の問いジャーナル
- 「もう遅い」と感じるテーマは何?(一言で)
- そのテーマで、遅れて来たからこそ持っている強みは?(経験/
選択眼/人への配慮 など) - 今夜の一行タスクは?(具体的に1つだけ)
- 明日の自分へ、ねぎらいの一行メッセージ。
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- 「遅い」と感じて足が止まった場面
- そこから見つけた“遅れて来た人の特権”
- 一行タスクを終えたあとの体感(呼吸・肩・心の軽さ)