夕方、机の上に書きかけのメモが何枚も重なっている。
やることは分かっているのに、手がすすまない。
「この程度で頼るなんて」と、喉の奥で小さな声がささやく。
その声に押されるように、私はもう少しだけ踏ん張ろうとする。
でも、心のどこかで薄い膜が張って、呼吸が浅くなる瞬間がある。
思い返せば、頼るのが苦手な人ほど、やさしい。
人の予定を奪いたくない。面倒をかけたくない。
「自分でやる方が早いから」と笑って、
その姿はたしかに美しい。けれど、長くは走れない。
ある夜、私はメッセージの下書き欄に指を置いた。
「ここだけ手伝ってもらえる?」
たった一行が、どうしてこんなに重いのだろう。
送信ボタンの手前で、何度もためらう。
頼ることは敗北の合図じゃないのに、
いつからか「自分でできる人」の仮面が、
思い切って送信した。
返ってきたのは、思っていたより、ずっとあたたかい言葉だった。
「いいよ。そこだけなら今からでもできるよ。」
胸の膜が音を立ててほどけて、呼吸が深くなる。
たった一行で、世界が静かにこちらへ寄ってくる。
そのとき初めて気づいた。
助けを求めることは、弱さの告白ではなく、関係を信じる行為なの
全部を預けなくていい。
「ここだけ」「10分だけ」「この部分だけ」を切り出すことは、
自分の責任を放棄することではなく、
未来の私が倒れないように今を整える判断だ。
頼ることには、もうひとつ効能がある。
自分では見落としていた「楽なルート」「別の手順」「
相手の手によってそっと差し込まれる。
それは、ひとりで抱えていたら一生気づけなかった、静かな光だ。
今日、もしあなたが同じ場所で立ち止まっているなら、
この言葉をそっと胸に置いてほしい。
助けを求める勇気は、弱さじゃない。
「あなたの力を信じています」「私たちの関係を信じています」
——そう告げる、誠実な一歩だ。
今夜は、完璧な依頼文じゃなくていい。
句読点が多すぎても、伝え方がぎこちなくてもいい。
ただ一人にだけ、「ここだけ手伝ってもらえる?」と送る。
それで充分、流れは戻り始める。
✍️ 今日の問いジャーナル
- いま、どの部分を「ひとりで抱えすぎて」いますか?
- その中から、ここだけ切り出せる小さな範囲はどこですか?
- その相手に、今すぐ送れる一行メッセージを書いてみてください。
- (例)「この資料のチェックだけ、10分だけお願いできる?」
- 送った/送らなかった自分に、ねぎらいの一言を。
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- 「頼れなかった理由」と「頼んでみて起きた小さな変化」
- “ここだけ”の依頼で、仕事や気持ちがどんなふうに軽くなったか