歴代天皇振り返りシリーズ第8回】第十五代応神天皇(おうじんてんのう)大陸と接近し、多様な文化を取り入れました。有名な秦氏(はたうじ(島津氏、長宗我部氏の祖とされる))、漢氏(あやうじ(坂上田村麻呂の祖))の渡来もこの時代である。また八幡さまの主祭神です。

★仲哀天皇の第四皇子で、母は神功皇后です。
神話的要素を含む天皇ではあるが、井上光貞氏など、多くの歴史学者より「確実に実在が確かめられる最初の天皇」とされています。※もちろん、異論もある。
歴史教科書でも、最初に取り上げられる天皇とされる事が多い(次代の仁徳天皇の例もある)。

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★ 中国の歴史書である「宋書」に伝わる倭の五王「讃」の候補の一人でもあり、仁徳天皇と同一人物との説もある。応神即位の実年代は、5世紀初頭前後とみられる(記録上は3~4世紀初頭の人物とされ、110歳で亡くなっている)。

★筑紫の宇瀰(うみ)で誕生
身重(子を身ごもっている)で三韓征伐へ出陣していた神功により、筑紫の宇瀰(うみ:福岡県宇美町)で生まれたという。
なお、日本書記では仲哀天皇の死後、神功皇后を天皇と同格に扱い、応神が即位するまでの69年間(神功が執政した時期)を「神功皇后摂政紀」としている。

★異母兄の反乱を鎮圧
神功が大和に幼い応神を伴って帰還した際、仲哀天皇の子で、応神天皇の異母兄(母は大中姫命(おおなかつひめのみこと))にあたる「かご坂皇子」と「忍熊皇子(おしくまの)」が反乱を起こした。神功と武内宿禰(たけうちのすくね)は、この反乱を鎮圧しているが、近年はかご坂・忍熊が正当な後継者だったとする見方もある。

★応神天皇即位:これにより応神天皇は神功4年に立太子する。
なお即位は71歳であった。。即位の後は内政・外交に力を注いだといわれています。

★渡来系の氏族より、多くの先進文化を取りれました。
大陸との接近を映して新羅、百済との交流も活発化した。
応神は渡来系の氏族を積極的に受け入れ、文化・技術を取り入れた。有名な秦氏(はたうじ(島津氏、長宗我部氏の祖とされる))、漢氏(あやうじ(坂上田村麻呂の祖))の渡来もこの時代である。こうした移民により土木、養蚕、機織といった技術が全国的に普及する事になる。また、古事記に百済王よりつがいの良馬2頭の献上があった事が記されているが、これが日本の馬の歴史の始まりと考えられる。

★海部と山部:大和政権に服属する官人・人民の集団は、「部(べ)」という呼称があるが、新たに海辺で働く部民を「海部」、山で働く部民を「山部」とする制度を置いた。これには、農民以外の漁民や、山の民も支配下に置くという意味合いがあり、大和政権が支配勢力を拡大した事を指しております。

★応神は朝鮮半島に出兵していた?また、5世紀初頭前後の時代は、日本の軍が盛んに朝鮮半島へ侵入したという記録がある。
この指揮を執ったのが、実は応神天皇だった可能性が大きいとされる。

★大隅宮に遷都
応神は当初、大和の軽島豊明宮(かるしまのとよあきらのみや:奈良県橿原市大軽町)に都を置いたが、後に難波の大隅宮(おおすみのみや)、現在の大阪市東淀川区に遷都した。 その後、111歳で崩御したという。

★応神天皇陵
大阪府羽曳野市誉田にある前方後円墳の応神天皇陵は全長約420m。仁徳天皇陵に次ぐ日本第二の規模で、その威勢を物語るものです。

★宇美八幡宮
応神天皇誕生の地である福岡県糟屋郡宇美町の「宇美八幡宮」では、応神天皇とその母である神功皇后を祀っています。

★誉田御廟山古墳 (こんだごびょうやまこふん)または誉田山古墳(こんだやまこふん)は、大阪府羽曳野市誉田にある古墳です。形状は前方後円墳。古市古墳群を構成する古墳の1つ。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」として第15代応神天皇の陵に治定されています。

*かんながら ありがとうございます!

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【美しい生き方 (この国の心をうつす。日本人になろう)シリーズ第7回】-「共生(きょうせい・ともいき)」そして「草主人従(そうしゅじんじゅう)」

★世界に類がない265年という長い年月、平和な国家が続いた江戸時代。その中で根付いた日本の宝である心、文化が”共生”であると思います。例えば 当時江戸は最盛期世界一の100万都市であった。各地方から普請により出稼ぎに江戸にきました。 地方ごとに話す言葉や生活習慣の違いは大きかったと思います。江戸に来た人々は、お互いにまるで外国を訪れ外国人と接するかのような文化の違いを感じたと想像いたします。

まさしく異文化のるつぼと化した江戸の町で、皆が気持ちよく稼ぎ、どんな身分(立場)の人も安全に心地よく暮らせるようにと生みだされた暗黙のルールと知恵、心遣いが江戸しぐさなのと言われています。「異文化との共生」です。

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★江戸時代に草主人従(そうしゅじんじゅう)という言葉があります。自然が主で人はそれに従うという自然の尊さ、人の謙虚さを表現しています。なにより 自然を尊び、合わせ、自然の流れに身をゆだねながらシンプルな生き方であると。つまり、「人間は天地自然の恵みの中で生き生かされているのだから、それをよくわきまえて、むやみやたらな開発はしないで、自然を大切にし、自然のサイクルに合った生き方をしましょう」ということ。また、「人は一人で生きているのではない。家族をはじめとして、隣近所、町や村の中で多くの人々と係わりながら生きているのだから、その関係を大切に、助け合いながら生きましょう」ということになると思います!

★一方、「 共生(ともいき)」とは、単にこのいまの世での生きものとの共生ということだけではなく、もう一つ大切なことが含まれているのです。それは過去から未来へつながっている“いのち”との共生です。

私たちがいま持っている“いのち”は、はるか昔の祖先から綿々と伝えられているのと同時に、子や孫といった未来へとつながっていく“いのち”でもあるのです。一人の“いのち”であって、一人の“いのち”ではない、ご先祖から未来へつながっていく多くの“いのち”と共に生かされているのです。

今この時の横のつながりだけではなく、過去から未来へつながっているという一筋の縦軸があるのです。だからこそ、“いのち”は大切なのです。“いのち”を奪うということは過去の“いのち”未来の“いのち”のすべてを奪ってしまうことになるのです。

要は自分の”いのち”を大切にすることは 両親・ご先祖様を大切することにつながるのです。

この“いのち”のつながりを含めて「ともいき」と表現しています。ー浄土宗HP参照ー

まさしく”いま”を生きる人々に伝えたいです

かんながら ありがとうございます!

 

平成31年 己亥(つちのとい)歳 1月6日(日曜日)大宮八幡宮参拝
第二番
『ひそみ居し ふちの龍らも 時を得て 雲井に登る かげのめでたさ』
運勢【大吉】
何事も末の見込みがある 改めかえてよい運です意志強く驕り高ぶる事なく信神すれば
龍の風や雲を得て天に昇るように出世します辛棒が第一です
○願望ネガイゴト 改めかえてすれば    ○争事アラソイ  思いのまゝに勝つ
       望事叶い喜び多し    ○恋愛レンアイ  一線を越えるな
○待人マチビト  来るたよりあり     ○転居ヤウツリ  よい早くしなさい
○失物ウセモノ  出る高いところ     ○出産オサン   吉さわりなし
○旅行タビダチ 遠方に行き利益有アリ   ○病気ヤマイ   なおる信神が第一
○商売アキナイ  見込確タシカなれば儲有アリ ○縁談エンダン  初めの縁は調トトノい難
○学問ガクモン  安心して勉学せよ           し後の方早く叶う
○相場ソウバ  手離せば不利
 
神の教『今日のこの日は生日イクヒの足日タルヒ、神の御ミかげの満ち足る日』
元気一杯つとめましょう、今日という日は再び来ない、神の恵みの御光りの足り充ちて、
生きいきと生きて輝く楽しい日柄、闇クラい思い淋しい思いは、朝の拝神ハンシンの拍手カシワデ
の音に打ち消して、すがしい気持ちを朗らかな思いで、楽しく、雄々しく、勇ましく過
ごして参りましょう