【聖徳太子と神道】ー敬神の詔(607年)について
皆さま おはようございます😃聖徳太子といえば四天王寺・法興寺等を次々と建立し、大和朝廷の仏教導入という大事業を推進しました。こうして仏教は、大和の国に根づかせたことで知られています。では 聖徳太子は神道に対してどうだったのか?
ここで日本書紀の推古朝には次のように書かれていました。
第三十三代推古天皇はその(推古十五年春、二月)九日詔して、「古来わが皇祖の天皇たちが、世を治めたもうのに、つつしんで厚く神祇を敬われ、山川の神々を祀り、神々の心を天地に通わせられた。これにより陰陽相和し、神々のみわざも順調に行われた。今わが世においても、神祇の祭祀を怠ることがあってはならぬ。群臣は心をつくしてよく神祇を拝するように」(敬神の詔)詔を下され、聖徳太子と蘇我馬子に命じて朝廷の役人を率いて神祇を祭らせたと、「書記」の記事にある。これは同年の遣隋使の出発に先立って行われた行事であったそうです。、『わかりやすい神道の歴史』参照
推古天皇は、先祖の信仰を継承して伝統の神々を祀り続けることを誓ったのです。この詔の起草者が聖徳太子であったそうで。
そして太子は,仏教と神道を両立させる道を考え出しました。それが「神仏儒習合」思想と言われています。
「神々は敬わなければならないが、敬ってもなお祟るのが日本の神々である。 その祟りを鎮めるものが仏である。よって、我々は仏も敬わなければならない。」
という考え方で、「神道を幹とし、仏教を枝として伸ばし、儒教の礼節を茂らせて、現実的な繁栄を達成する。」とし、他の宗教を否定する事無く、融合させる思想を考え出したと言われています。
そういえば、正月は神社に初詣に行き、結婚式は神道で挙げ、葬式は仏教で行い、仏壇の中には先祖の位牌があり、祖先崇拝をしているという、日本人の宗教生活を形づくっているものです。一見なにか統一性がないように感じますが,聖徳太子の思想に裏打ちされたものなのですね。世界には類のない太子の思想ですね。
これが、後の日本人に与えた精神的影響は大きい思います。日本人は宗教的戒律にとらわれる事無く、外来の優れた文明や文化を簡単に受け入れる事ができたのは、一つの神だけでなく,全ての文明や文化の優れた部分のみを、取り入れる習慣を身につける事ができるようになった思います。
◎日本人の価値観の根本にあるのはあくまでも神道、つまり日本の神々であって,その基盤の上に花を咲かせる新しい知識,価値観としての仏教があるというのです。
櫻井よしこさんの意見ですが、なにか納得できるものがあります。
いずれにしても聖徳太子の「神仏儒習合」思想こそが今の日本の成り立ちの基盤になっているのは間違いないと思います。
かんながら ありがとうございます😊



