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いつもは須弥壇上の厨子に納められており、毎年11月3日だけ開扉される秘仏 鎌倉時代作の本尊・千手観音さまにお会いしたくて、松尾寺(奈良県大和郡山市山田町683)へ行きました。
奈良県大和郡山市、松尾山の中腹にある寺院。
天武天皇の皇子、舎人親王が718年、42歳の厄除けと日本書紀編纂の完成を祈願して建立したと伝わる。日本最古の厄除け霊場として知られるお寺です。本堂は室町時代初頭に再建されたもので、中世の大型仏堂の貴重な遺構です。
バスを降りてからきつ~い登り坂を20分、やっとたどり着きました。しんどかった
本堂
ご本尊は千手観音立像(厄除け観音)ですが室町時代の作で、頭上に十一面のお顔と身体に42手と光背に千本の小さな手を持つ仏さま。凛として美しいお姿でした。
後で知ったのですが、ちょうど私が千手観音さまに手をあわせていた時間に愛知県巡礼の旅をご一緒していただいたレイキ師匠のSayoさんは本堂の前、弟子仲間のKさんは千手観音さまの後ろ側 千手観音像トルソーのところにいらっしゃったそうです。ミラクル。 そういえば以前も偶然、同じ日同じ時間にSayoさんとは大阪の恩智神社ですれ違い、Kさんとは同じ日に京都の九頭竜大社へお参りに行っていました。GPSテレパシー
千手観音像トルソー公開中でした。
頭部と四肢が焼失した千手観音像のトルソー(胴体だけの彫像)などが展示されていました。千手観音像は奈良時代の作で、総高188センチ。当初は240センチはあったとみられる本格的な一木造りで、寺の創建当時の本尊だったと推定されます。
そばでお参りすると何とも柔らかい光が放たれているように思います。
写真はパンフレットより
松尾寺創建日本唯一の舎人親王像も公開されていました。
染筆「厄攘」みんなで書こう百萬枚開催中。
七福神堂 御本尊は大黒天立像です。こちらの大黒天さまカッコいいです。
福岡・観世音寺のものに次いで古い、日本最古クラスの大黒天像と言われています。
行者堂 秘仏「役行者像」特別開扉は9月1日~7日でした。(来年はお目にかかりたい。)
厄除の鐘、三重塔、十九所大明神と葛城御歳大明神、 楊谷観音様
松尾山神社
春日造り桧皮葺の三社殿が並び、これに拝殿と神楽殿が配置されています。松尾大明神を本社、清滝権現・牛頭天皇を脇社として三社斎祀しています。
元観音堂跡と言われ、昭和52年に発掘された奈良時代の鎧瓦などが宝蔵殿に展示されています。
お寺とはまた違う雰囲気で、まるで天とつながっているような気がしました。
南惣門
法隆寺側からの参道に建つ門で、本瓦葺総檜造の豪華な四脚門。文久2年(1862)、興福寺一条院宮により造られたといい、蟇股代わりの彫刻や、腰長押と飛貫の間に風神雷神の浮き彫り彫刻が向かい合いに入り、「雷門」とも呼ばれています。
帰りは南惣門からハイキングコースを通って、道しるべの丁石をたよりに法隆寺方面へ歩きます。ゆるやかな下り坂で、トトロがてできそうな林の中を通ったり、途中ゴルフ場の間を通ったり楽しいです。
法輪寺の創建は飛鳥時代。
聖徳太子の御子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)が、太子の病気平癒を願ってその子由義王(ゆぎおう)と共に建立されたと伝えられていますが、一説には、百済開法師(くだらかいほうし)・円明法師(えんみょうし)・下氷新物(しもひしんもつ)の3人が合力して造寺したともいわれています。
講堂(収蔵庫)
本尊の薬師如来をはじめ、11体の仏像をご安置し、出土瓦、伽藍図や塔の模型など公開しています。
お寺のご本尊は 薬師如来さまですが、講堂のご本尊は十一面観音様です。
令和4年度秋季特別展「妙見堂特別公開と被履妙見菩薩蔵御開扉」
秘仏の妙見菩薩像をご開扉し、普段非公開の妙見堂を特別公開中でした。
妙見菩薩(みょうけんぼさつ)は、北辰尊星王(ほくしんそんしょうおう)ともいい、北辰(北極星)を仏格化した「星の仏さま」です。宇宙の中心・根源とされ、星々のなかで最高位にあり、あまねく願いをお聞きくださる諸願成就の仏さまです。
その妙見菩薩をおまつりするお堂が「妙見堂」です。
お堂の格天井(ごうてんじょう)は、妙見菩薩を中心に北斗七星、惑星、十二宮、二十八宿の星の神々を描いた星曼荼羅になっています。
三重塔、 鐘楼、 地蔵堂
今日これからも、あなたやあなたの大切な方たちが、穏やかでニコニコ笑顔でご機嫌に過ごせますように
明日はきっとハレルヤ