子規庵保存会(東京・根岸、田浦徹代表理事)は22日、愛媛県松山市出身の俳人正岡子規(1867~1902年)や近しい弟子11人が、1897(明治30)年の年始に、福引の遊びで詠んだ21句を記した句集「歳旦帳」2種類と、行方不明だった子規直筆の書簡を確認したと発表した。
子規研究者の復本一郎神奈川大名誉教授(宇和島市出身)によると、歳旦帳に子規が記した
「新年や昔より窮す猶(なお)窮す」
新出句で、子規の別の一句を除き他の句も新出。子規の高弟の関係者が2014年に保存会に寄託し、復本氏が解読や内容の検討をしていた。
1冊目(14ページ)の表紙には「丁酉(ていゆう=1897年のえと)に書かれた隠された名品」を意味する「丁酉遺珠(いしゅ)」、2冊目(40ページのうち16ページまで記載)には「福引」とある。
子規は年始に子規庵を訪れた弟子たちと句会をした後、上野・不忍池ほとりの「長蛇亭」で新年会をした。その際に福引で遊び、景品が当たった者が「ふんどしと蜜柑(みかん)と袂(たもと)ふくれたる」(高浜虚子)「貧かつ愚福引引いてさりつ古暦」(河東碧梧桐)など、即興で詠んだ句を直筆で書き入れた。
子規の新出句は引き当てた「急須」と「窮す」をかけており、
復本氏は「子規は写生の人と言われたが、今回の句はいわゆる写生句ではなく、滑稽的な作品。子規のユーモラスな一面を示し、非常に興味深い」と述べた。
書簡は、日本新聞社の同僚古嶋一雄から子規に届いた手紙への返信で、最晩年の1902年5月4日付。「今日も今日と非常ニ弱つて居る際君の御手紙に接し覚えず活気が出た 誠うれしくてたまらんね(後略)」などと病床の心境を伝えている。文末には「筍(たけのこ)や目黒の美人ありやなし」の句がある。書簡は子規の没後公表されていた。原本発見により子規全集の翻字の一部誤りも分かった。
昨年9月、子規庵で1901年の歳旦帳を見た所有者が書簡の存在を保存会に申し出、今年1月に保存会に寄贈した。
新たな歳旦帳と書簡は、
9月1~30日に子規庵で開催する 第18回特別展で公開する予定。