第980話 201911.23
今日は勤労感謝の日だ。
ちょうど2年前のこの日、私は東京都多摩市で大学の同級生と思いがけない再会を果たした。
あの日の午後6時、昔勤めていた会社の同期社員4名と旧交を温める予定であったのだが、そのわずか3時間ほど前に、その会社に内定していたが入社直前に内定を辞退し別の会社に入社していた田村豊君と会うことができたのだ。本当に奇遇だった。
「縁は異なもの味なもの」という言葉を強烈に実感した1日であった。
【過去公開記事】
田村豊著 学研マーケティング 2014年
「未来の医療像がここにある」異質な経歴をもつ医師が未開拓の地に挑む!
新しい医療のあり方とは。 -帯の言葉-
著者の田村豊氏は高名な医師である。
長年にわたって原因不明の難病に苦しんできた生命科学者・柳澤桂子の治療に粘り強く取り組み遂に症状を改善させ、柳澤氏は著書の中で田村氏を名医として絶賛した。
1994年、多摩市に田村クリニックを一人で開業。
・診療は年中無休とする。
・患者やその家族からの要請があれば積極的に自宅への訪問診療(往診)を行う。
というユニークな方針を標榜し、徹底した患者本位の医療に邁進。
そして、現在では、
東京都内に10を超えるクリニックと100名を超える医師を擁する医療法人社団めぐみ会の理事長として辣腕を振るっている。
めぐみ会 HP
そして、こんな地位に立った今でも、日々診察に取り組み、たった一人の患者のための往診にも行っているとのことだ。
ちなみに氏の医師になるまでの経歴も異色である。
京都大学法学部を卒業後、石油会社で2年間勤務し、そこから一念発起して岐阜大学医学部に入学。
この二つの記事には、田村氏の医師としての理想と理念が熱く語られている。
2017年11月23日の午後。
私と妻は、多摩センター駅に降り立ち多摩美術大学美術館に向かった。
同大学を定年退職する従兄の退職記念展を観るための上京であった。
退職記念展を紹介したブログ記事
瀟洒な美術館に着くと、道路を隔てた隣の建物の「田村クリニック」という大きな文字が目に入った。
そして以前読んだ雑誌の記事を思い出し、もしかしたら田村氏の経営する年中無休のクリニックではないかと考え、近くに寄ってみると果たしてそうであった。
私は一通り展示作品を見終えた後、クリニックの受付に行って名刺を差し出し、
「田村さんと大学の同級生の者ですが、もしもできましたら、ご挨拶だけでもしたいのですが…」とお願いしてみた。
すると受付の女性は奥にさがった後、すぐに戻ってきて、
「院長は、今、外出中ですが、10分ぐらいで戻りますから、どうぞお待ちください、とのことです」という伝言を告げられ、応接室に案内された。
ほぼ予告通りの時間に彼は部屋に入って来た。大学卒業後、私と彼との接点は一切なく、約40年ぶりの再会であった。
昔と変わらぬピュアな眼差しと、誠実な口ぶりで、今も現役の医師として日々診療を行い、自己研鑽にも努めているという話をしばらくすると、いったん奥に消えて、上記著書とたくさんの雑誌記事のコピーを携えてきて私に手渡してくれ、医療への熱い思いを語り続けてくれた。
時ははるか昔にさかのぼる……
1976年春。
法学部に入学した田村君と私は同じクラスであった。格別親しかったというわけでもなかったが、普通に雑談を交わす間柄だった。
1979年10月。
彼と私は同じ生保会社に就職が内定した。京大からの内定者グループは大学OB社員のリードで、かなりの回数、行動を共にし、学内でも自然と深い話をするようになっていた。
1980年1月。
彼から突然連絡があり、二人で飲みに出かけた。
酒を酌み交わし始めて間もなく、彼は全く思いがけない話を始めた。
いろいろ考えてみたのだけれど、生保会社の内定は辞退し石油会社に入社することを決めた、という告白であった。
私としてはとても残念ではあったけれど、既に決着がついた後なので、とやかく意見をしても仕方がない、これが彼との最後の宴だと思い、かなり遅くまで痛飲し語り合った。22歳の別れ の夜だった。
そして、それから後、
田村君は2年で会社を退職し、32歳にして医師としてのスタートを切った。
私は4年で会社を退職し、28歳で教職に就いた。
その日、彼と別れて3時間後、東京駅近くの小料理屋でかつて勤めた会社の同期入社4人と旧交を温めた。
私は先ほどの田村君との再会の様子について語り、もしも彼が大学4回生の冬、思い切った決断をしていなかったら、今、この席に6人目の同期として座っていたのかもしれないなあ、といった「タラレバ」の話もしたりした。
私の友人・知人の医師で田村君ほど功成り名を遂げた人物はいない。しかし、そんな話はしょせん他人事であり、私にとってたいした意味があるものではない。
そんなことよりも、彼が還暦を過ぎた今でも現役の医師として真摯かつ誠実に患者と向き合い、一人ひとりの患者とその家族の心に寄り添いつつ、患者にとって最善の選択は何なのかを真剣に考え続ける姿に接したことが私にとってとても素敵な経験だった。
田村君と再会できた11月23日は勤労感謝の日であった。
もしかしたらあのひと時は、曲がりなりにも定年の齢まで働いてきた私に、神様がくれたプレゼントであったのかもしれない……
