そうなんだよ。昨日のジャニス・ジョプリンの絶頂は1970年だったよ。ライヴはメチャクチャかっち良かった。

 して、ふと気がついた。オイラの好きなアーティスト達には70年が絶頂期で秀逸なライヴ音源を残しているケースが多いのだ。手縄毛で、オフィシャル・アイテムに限定して、それらをしばらく連載する事にしたよ。

 まず、今日はジョー・コッカーからだよ。去年、死んじゃったよ。晩年も"一応"現役で頑張っていた。まっ、太ってしまって、身体も動いていないし、声は出てないし、往年の面影はなかったけど、とにかく唄い続けていたのはイカしていたね。

 彼のキャリアから顧みても、ヴォーカリストの本領発揮しているのは、この時のライヴだね。

 1970年3~5月まで行われた北米ツアーね。ライヴの模様は翌年、2枚組アルバム『Mad Dogs & Englishmen/マッド・ドッグス・アンド・イングリッシュメン』としてリリースされた。映画でも公開さりたね。

 とにかく熱気が迸るってのは、こんときのコッカーだよ。

 ロックの神様は、つれないってか気まぐれだよ。うだつの上がらない英国の歌唄いにチョイとした悪戯をした。僅か2年足らずの短い間だけ、彼を依怙贔屓した。

 よりによってビートルズのお間抜け曲『With A Little Help From My Friends/ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』をとてつもないアレンジと解釈でカヴァーさせてしまった。

 まっ、セッションに参加したジミー・ペイジに降りてアレンジさせたようだね。

 コッカーの唄も神がかりだよね。まさに魂の叫びだったね。そして世間から脚光を浴びた。

 因みに、この曲が69年2月に日本で発売された時は『心の友』と云う秀逸な邦題がつけられたよ。初版は日本グラモフォン/Polydorよりリリースされ、このアイテムは現在では超レア盤となっている。

 、、、あっ、別にジョー・コッカー物語や解説をやる気は無いんだよ。まったくね。だから、いつも長くなる。

 して、ウッドストックでバックしてたグリース・バンドとは一部メンバーとの確執で袂を分かってしまう。まっ、コッカーは酒癖が悪かったらしい。

 して、69年後半にセカンド・アルバムを録音する時にプロデューサーのデニー・コーデルの相棒であったリオン・ラッセルが参加した。

 コーデルはコッカーの所属プロダクションの社長でもあり、70年はコッカーの米国進出を狙っていたんだ。

 んなわけで、その際のバック・バンド編成とバンマスをリオン・ラッセルにまかせた。

 そして、マッド・ドッグス・アンド・イングリッシュメンが70年3月に誕生したのさ。

 ラッセルが結成したバック・バンドは総勢20名近い大所帯だった。ディレイニー&ボニー&フレンズのメンバーが中心で、コーラス隊の中にはソロ・デビュー前のリタ・クーリッジがいた。

 んで、このアルバムの音源の殆どが録音さりたのは、3月27,28日のニューヨーク・フィルモア・イーストであった。

 いやぁ、すんごい内容だ。振り絞るような叫びは人間の本質に迫っているよ。

 演奏曲の大半はカヴァーでジャズ、R&Bのスタンダード、レイ・チャールズからボブ・ディラン、ビートルズ、ストーンズ、ボックス・トップス、トラフィック、レナード・コーエンと何でもあれってラインナップだ。

 しかして、そりらの曲達が、ラッセルのアレンジとバンド・サウンド、そして、コッカーの叫びでまったく違和感なく、ひとつのロックのステージを構成している。

 特に黒人音楽のカヴァーを唄うコッカーは素晴らしい。全然、黒人っぽくないのにソウルフルなんだよね。そりがコッカーの特徴だね。

 飾らないストレートな歌唄いだったのだろう。して、このアルバムはロック・ライヴ・アルバムの名盤となった。

 オイラ的に興味深いのはオープニング曲はストーンズの「酒場女」なんだけど、歌詞が全然違うのだよ。"メンフィスの酒場女王"が"ヒューストンの田舎娘"になっていたり、歌詞全体が書き換えられているのさ。

 他のカヴァー曲は原曲通りなので、何故、この曲だけって疑問がわくよね。死ぬ前に確認したかったな。


 ただ、そのコッカーのストレートな性格が災いしたのか、このツアーは途中からバンドのメンバーと上手く行かなくなってしまったようだ。

 しかして、素晴らしいライヴであったのは確かだ。この2日間のライヴは昼夜4ステージで、アルバムには、15の音源が収録さりていた。

 05年には未発表音源を追加した2枚組CDのDX版がリリースされ、翌年には、ぬぁんと、この4ステージを完全収録した6枚組CDが『The Complete Fillmore East Concerts』がリリースされたのだよ。

 こりでアルバムに収録されたライヴの全貌が明らかになった、イカすぜ。因み同じ3月にライヴしたニール・ヤングのフィルモア・イーストのCDではジャケットに当時の看板が使われていて、ちゃんと"27-28 COCKER"との表記が確認出来て感動的だったね。

 まっ、その後は、ロックの神様に見放され、不遇の時期が続いて、時折りヒット曲は出すけど、昔の名前でやってます状態だった。

 しかして、その紆余曲折な晩年まで含めて、こりがロック・ヴォーカリストと云う人だよね。

 現在では、当時のステージでのアクションから"エア・ギター"の元祖って評価もあるしね(笑)。

 まっ、オイラの唄うスタイルにも大きな影響を与えているしね。オイラにとっては重要な歌唄いであり、この70年のアルバムも永遠の名盤だな!…(^・^)Chu♪