う~ん、レイ・マンザレクが逝っちゃったね。たいした音楽家だったね。
ご存知、ザ・ドアーズのオルガニストでありバンマスね。
ジム・モリスンと云う稀代のイカレポンチに付き合えたのは、彼だけだったよ。
ザ・ドアーズはライヴ・バンドだ。
ステージの上で、聴衆を前にした生の演奏にこそザ・ドアーズの本質を知る事が出来る。
一応、ザ・ドアーズはジャズ/ブルース・バンド(本人達の弁)なので、ライヴ演奏ではインプロ、アドリブ、即興性が強い。
ただ、それらは、演奏の枠の中での話だ。
しかして、他の3人とは異なり、モリスンはより破天荒で際どい。時にはモリスンは演奏をメチャクチャにする。
まっ「破滅」に向かって明日なき暴走をしていたモリスンだから、周りのメンバー達も大変だ。
だからザ・ドアーズのライヴは全部違う演奏でスリリングだ。
オイラが持っているライヴ音源で、それが最も顕著なのが、あの伝説の69年3月のマイミクのディナー・キー・オーディトリアムでのライヴね。
例の「モリスンがステージでオナニーした」と伝わるライヴね。
まっ、実際にモリスンが、そこまでやったのかは、真偽は闇の中なんだけどね。
そんだけ異常な状況でのライヴであったのは確かだ。
何が異常だったか…
当時、モリスンはマスコミが作り上げた彼に対するレッテルにうんざりしていた。
唄うのにも飽きていた。本来、モリスンは映画監督で詩人だったからさ。
そして、マイアミのあるフロリダ州はモリスンの地元だ。
そっ、モリスンは職業軍人を父に持つお金持ちのお坊ちゃんだったからね。彼の消したい過去だった。
そして、会場は7000人のキャパなのに、興業主は売れるだけさばいてしまって、12000人入場と云う過密状態だった。
いつもの事だが、モリスンは酒を呑んで酩酊状態でないとステージに立てない。今回はそんな事情も絡み、よりへべれけでステージに立った。
前日、前衛演劇を見たモリスンはその影響も受けて、オープニングの「ブレーク・オン・スルー」が始まっても唄わず訳の判らん演説を始めた。
こんな感じだ「こいつは革命の話じゃない。民主主義の話でもない。思いきり楽しもうって話さ…」。
まっ、マンザレクと他のメンバーも様子を見ていたが、いつまでも唄わないので、10分程で諦めて、次の曲「バック・ドア・マン」に移る。
この「ブレーク・オン・スルー」と「バック・ドア・マン」はモリスンのお気に入りの曲なので、ステージのオープニングに頻繁に用いられた。
まっ、其れなりに唄いだしたけど、もうメチャクチャだ。
呂律の回らない舌で"即興の独白"と云うより"くだらないおしゃべり"が延々と続く。
とは言ってもバンドのメンバー達は、きっちりと其れなりにサポートしている、たいしたもんだ。
マンザレクがモリスンの様子を見ながら、他のメンバー達に目配せしているのが手に取るように判る。
モリスンのゴタクはエスカレートする。「なぁ、聴いてくれ。俺は寂しいんだ。愛が欲しいんだ。愛がなきゃいられない。誰か俺のケツの穴を愛してくれないか?さぁ、来てくれ…」。
まっ、型通りバックの演奏は「バック・ドア・マン」~「ファイヴ・トゥ・ワン」のメドレーを終えて、お次は当時、シングル・ヒットしていた「タッチ・ミー」だ。
これが大失敗だった。モリスンは、この曲が大嫌いだった。
オイラが持っている当時のライヴ音源では、どの会場でも、まともにやってるのはない。
この時は、特に悲惨で一番だけ唄うと「おい、ちょっと待て、こんなくだらない事はやってられない、俺は抜ける」とステージから去ってしまったようだ。だから演奏も中止だ。
しかして、すぐに「ラヴ・ミー・トゥ・タイムス」を始める。
比較的にモリスンが気に入っているドアーズの曲だ。
スタッフに促されてしぶしぶステージに戻ってしぶしぶ唄った。
そんで、モリスンにとっては重要な曲「音楽が終わったら」が始まる。
今回は、大演説大会になった。恐らく初めて「エアーインディア」のアドリブも挟んでいる。
まっ、モリスンのグダグダのくだらないおしゃべりのおかげで、この曲の演奏時間は22分と、かなりの長尺となった。
モリスンは客を煽り始めていて、音源だけ聴いていても、その不穏さは伝わってくる。
しかして、バンドの3人達はなんとかゴール手前まで差し掛かった。
そっ、この時期のドアーズは1ステージ60分の演奏時間が通常だった。
どんな状況でも、ここまで約50分のステージを行っている。
ショウ・ビジネス界で公演中止は経済的に大打撃なので、とにかく、始めたら、やっつけなければならない。モリスン以外のメンバーは大人なのだ。
そして、予定調和のラスト曲「ハートに火をつけて」が始まる。
モリスンは、もはやへべれけで、まともには唄えない。
そんな時、いつもの様にマンザレクのサポート・ヴォーカルが被る。
そして、長い間奏は、オルガンとギターがメインだ。
あり、マンザレクのインプロなオルガンがいつになく激しいな。白熱しているぞ。
クリューガーのギターも冴えている。
間奏の後半で、またモリスンのグダグダが絡んで来たけど、無視する様にエンディングに持ち込んだ…これがザ・ドアーズだ。
梃子とで、なんとかライヴは成立させた。
オイラは隠密録音のブートを持っている。オープニングの「ブレイク・オン・スルー」は未収録だけど、その後は完全と思われる。
まっ、ホントにモリスンのガイキチ振りを聴いていると、他のメンバーが気の毒だよ。
マンザレクの心労たるや、かなりのもんだったと推察される。
因みに、前年の欧州ツアー時には、開演直前にモリスンが酔い潰れて唄えなくなり、モリスン抜きの3人ドアーズで、マンザレクが代わりにワン・ステージをフルで唄ったライヴがあったそうな。
そのツアーの記録番組の映像ではリハーサルの時にモリスンではなくマンザレクが「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」を唄っている姿が観られる。
ザ・ドアーズは、ジム・モリスンと彼のバック・バンドではない。
際どい均衡で保つタイトロープの綱渡りだ。
あの3人でなければモリスンを維持させる事は出来なかったね。
特にモリスンをバンドに引き入れたバンマスのマンザレクの負担は大きかっただろう。
傍若無人で唯我独尊、破滅する為にステージにへべれけで上がるロック・モンスターを操らなくてはならなかったからね。
ただ、それが成立したステージは、本物のロックなライヴだったから価値はあったけどね。
そして、レイ・マンザレクは、70年暮れのライヴでモリスンからそのロック・モンスターの魂が抜けていくシーンも見たそうな。
そして、七ヶ月後、モリスンは、死んだ。
その後のマンザレクはモリスンの幻影に悩まされながらも音楽活動は続けていた。
まっ、すんごい人だったよ、猛獣使いとして、勿論、プレーヤーとしてもエキサイティングなオルガニストだったし、ライヴではベーシストを入れず、自ら鍵盤でベースも担当していた。
そこから、あの独特のザ・ドアーズ・サウンドも生まれたんだ。
ロックの神様が見込んだ音楽家の一人には間違いないね。
残された音源には、彼のスリリングなプレイが鮮やかに記録されているよ…music is my life,music is forever…(^・^)Chu♪