まいどっ。
ちゃみでっす。
このblogは、蒼辰の構成台本、ちゃみの語りでお送りする[読むラヂオ]です。
テーマは[暇つぶしのお供]。
お気軽にお付き合いくださいまし。
ふぃ~~っ、腹へったぁ~~っ。
伊勢講の籤に当たって、伊勢参りのちゃみご一行さまは、先週、戸塚宿にたどり着き、草鞋を脱いで、足を洗って、お風呂に入って、ようやっと人心地がついて、さぁご飯、ってところで、次週に持ち越しとなってしまいした。
というわけで、伊勢参り道中、最初の晩ご飯でございます。
突然ですが、平凡社新書[江戸の宿]という本に、大坂の大店の番頭さんが残した、旅籠の食事の記録があります。
どんなんだろ。
ちょと引用しますね。
夕食 飯、汁(大根切り干し)、皿(あさり、寒天酢醤油かけ)、平(ぼ
ら、焼き豆腐、ニンジン)、鉢(うなぎ)
朝食 飯、汁(きざみ大根)、焼き物(かれい)、平(八杯豆腐)、猪口
(揚げ豆腐、角大根)
ふ~~ん。
豪華じゃないかもだけど、そんなに貧相でもないですよね、江戸時代ってこと考えたら。
だって、ガスも電気も水道もなくて、トラック輸送もない時代なんだよ。
これで文句言っちゃいけません。
い~です。ちゃみ、これで十分です。
だって、今どきの温泉旅館みたいなご馳走、毎日出されたって、食べきれないし、飽きちゃいますよ。
ふぁ~、ご飯、おかわりしちった。
え? な~に? もう寝ろって?
あ、朝が早いんですね。はいはい。
戸塚から平塚、小田原と泊まると、だいたい4日目に箱根越えとなります。
箱根には、関所がありました。でもだいじょぶですよ。通行手形はちゃんとあるから。
それにしても、一日で箱根の山を越えて、三島まで行かなくちゃいけないんだ。
それだけで日帰りハイキングですよ。
箱根を越えると、江戸の人にとってはもう上方。
言葉のイントネーションも変わってきます。昔の人にとっては、やっぱり異文化体験だったんでしょうね。
さて、では、途中の名物でも楽しみながら、さらに西へと向かいましょう。
天の羽衣で有名な三保の松原なんかは、やっぱり寄り道したくなりますよね。
その先、今の静岡のひとつ手前の鞠子宿には、丁子屋さんというとろろ汁で有名なお店があって、今も営業しているんだそうです。
へ~え。
駿河と遠江の国境の大井川は、ここも橋がありません。
しかも、浅瀬の急流なので、渡し船もない。
じゃ、どうするんですか?
案内人にお金を払って渡る? どうやって?
一番安いのが、渡りやすいところに張ってある縄を伝って、何人かで案内人に案内してもらって渡る。
じゃぶじゃぶ川の中を歩くのですね。
次が、案内人におんぶしてもらう。
あ、これなら濡れなくてすみそう。
一番高いのが、4人がかりで、輿のようなものを担いで、そ
の上に乗るんだ。
ははあ、人間が多い方が高いのね。納得。
さあ、道も後半にかかってきました。
浜松を過ぎて、熱田神宮の近く、宮宿からは七里の渡しという渡し船で、海を渡って、桑名へ。
あ、焼きはまぐりだ。ちゃみ、知ってるよ。おいし~んだよね~。
桑名からは南へ、四日市で東海道とは別れ、伊勢へと向かいます。
やがて、宮川の手前、山田宿に入れば、伊勢はもうすぐそこ。
ここまで、早い人で10日くらい。普通に旅してゆくと、だいたい14日かそこらはかかっていました。
う~、旅籠のご飯が13回か。
まいんち8時間歩くのか。
けどさ、なんかすごい人だよ、山田宿。
そりゃそうでしょうって、ど~ゆ~こと?
山田宿は、なんせ伊勢のすぐ手前。伊勢詣りの人が必ず宿泊するから大賑わいだったのです。
そりゃそうだ。江戸だけじゃなくって、伊勢講は全国展開してたんですものね。
西から東から、南から北から。
そりゃ大賑わいになるはずだ。
江戸のオーバーツーリズム。
山田宿には、千人二千人という人が、一度に泊まれるほどの大きな宿がいくつもありました。
ふぇっ、団体専用だ。
そういう宿では、バカでかい焼き網があって、二枚になってる真ん中に切り身をはさんで、何百人分も一気に焼き上げたりもしていました。
なんだか、修学旅行を思い出してしまいます。
さて、この山田宿で待っていると、御師が迎えに来てくれます。
いよいよお伊勢詣り。
御師の本業は、この伊勢詣りの案内と取り次ぎなんです。
ってことは、本殿の前で賽銭投げて、鈴ならして、柏手打って一礼して終わり、なんて初詣みたいなものじゃなかったんだ。
ちゃ~んと本殿に上がって、ご祈祷を受け手・・と思ったら、伊勢神宮、本殿というものはありません。
本宮というんですが、神明造りという、とっても質素で、簡素なお宮です。
その上、賽銭もあげてはいけないことになってるし、鈴もありません。
んじゃ、どうするの?
今も昔も、本宮の前で、賽銭も上げずにお参りするだけ。
ふ~ん。
んじゃ、案内なんていらないじゃん。
ただし、とっしょり蒼辰がお参りしたときも、宮司に案内された団体が、一般よりも、もう一段奥まで入って、お参りしていた。
ふ~~ん。
そいつらが、ご祈祷料かなんか払ってるってこと?
分かりません。
けどなにか、ちょっと奥、ってゆうか、前、ってゆうか、そういうとこで参拝できるような、そういうシステムはあるみたいです。
ってことは、多分、今も昔も一緒だったのではないでしょうか。
簡単に言えば、追加料金で、ちょっとスペシャルな待遇が受けられるようなやつね。
でも、神さまはそんなこと気にしてません。
お参りに来るものは全て平等。
ご加護もまたひとしなみ平等なのでございます。
ご安心を。
やれやれ、どうにかお詣りがすみました。
で、伊勢詣りを済ませた夜は、御師が経営する宿に泊まりま
す。
この御師の宿でのもてなしがすごいんです。
さっき引用した「江戸の宿」にある記録を、また引用します
ね。
宿に到着すると、先ずお風呂に入ります。
そのあとに出されたのが、
一、吸い物(雑煮)、小皿(鯛塩漬け)、冷酒、みそ汁
一、吸い物(いなうと)、取り肴(鯛のむしり肴)、大蓋(牛
蒡うま煮、蒲鉾半月、こはだすし)、同(うど、くわい、
アナゴ蒲焼き)
こんだけ食べたあとに、もっかいお風呂に入るんです。
で、そのあとにま~だお料理が出てきます。
一、本膳
汁(白味噌)、平椀(蒲鉾、椎茸、うど)、坪(焼きフ、
たこ)、香の物、皿(なます、うど、生うり、きくらげ)
一、汁(切り身)、皿(さしみ)
一、引き物(鯛)
どんだけだいって感じですよね。
まるで結婚式みたい。
別の記録では、本膳が白木四の膳つきで、取り肴が十四もあっ
たとか、大皿に大きな伊勢エビ、長皿に大鯛が出たとか。
朝ご飯にも酒が出され、二汁五菜だったとか。
まあまあまあ、あらあらあら。
つまり、講に当たって伊勢詣りにやってくる町人やお百姓さ
んにとっては、一生に一度のご馳走が、御師の家では振る舞わ
れていたのです。
で、この体験を、国に帰って、同じ講の仲間に話すわけでしょ。
いや~、よかった。お参りはそりゃもう、厳粛なものだしさ、夜のご馳走がまた、まるで殿様になった気分よ。
みたいな話をする。
まだ行ってない人が、へ~えって、目をキラキラさせて聞く。
俺も行ってみてぇってなるよね、そりゃ。
こうして、御師のお客さまは絶えることなく、毎年まいとし、伊勢参りにやってくるわけでございます。
お伊勢ありがたいとこ、一度はおいで、
さのよいよいっと。
安定したいい仕事ですよね、御師。
いや~、ウチの講はいい御師にお世話になってるから、い~
思いができたわ。
では、翌年の約束をして、御師に別れを告げ、帰るとしましょ
うか。
ってさ、ちょっと待って。
ま~た14日くらいかかるんだよね、江戸まで。
い~じゃない。行きに泊まらなかった宿に泊まって、行きそ
びれた名所や、食べそびれた名物を食べながら、ゆ~くり帰り
ましょうよ、って、そうだけどさぁ。
ふ~ん、そうか。
江戸から伊勢詣りすると、一ヶ月以上かかるんだ。
そ~りゃ一生に一回ですわねえ。
リフレッシュ休暇だもんね。
けど、ちゃみはもうい~です。
な、なんでって・・だってもう歩きたくな~い。
このまま高速道路と新幹線ができるまで、冬眠することにし
ます。
てなわけで、本日はここまででっす。
昔の伊勢参りの、エア体験、いかがだったでしょうか。
現代では、もっとさっと、お参りできます。
でも境内の中は、江戸時代とさほど変わんないかもね。
そのあたりは、今週金曜日、とっしょり蒼辰の伊勢参り報告でお伝えしまっす。
そして来週火曜は、伊勢参りの雑学最終回でございます。
こんな伊勢参りも、ってお話らしいっすよ。
でもって、来週金曜は、とっしょり蒼辰の伊勢参り報告最終回。
なんか、まとめみたいなことするらしいっす。
ふいっ、今日も長かった。
ほいでわまたっ。
ちゃみでしたっ。