まいどっ。
ちゃみでっす。
このblogは、蒼辰の構成台本、ちゃみの語りでお送りする[読むラヂオ]です。
テーマは[暇つぶしのお供]。
お気軽にお付き合いくださいまし。
さて、5月の火曜雑学、中国三大美女の第2回目でございます。
って、今日もう水曜じゃない。
なんでいちんち遅れたのよ。
え? 忙しかった?
とっしょり蒼辰が?
ひょえ~っ、めっずらし。
どうせ大した・・ま、いっか。
はい。
では、第2回。
前回は、ホントは中国四大美女なんだけど、一人は架空の人物なので、そこ外して三大美女でいくよって話と、そのラインナップのご紹介でございました。
というわけで、本日が、三大美女の一人め。
西施(せいし)さんでございます。
あれだよね、西施さんが、川で洗濯をしていたら、やってきたお魚が、その美しさに見惚れて、泳ぐのを忘れて、川底に沈んじゃったってゆうんでしょ。
なので、沈魚美人。
だがしかし、欠点がいっこだけあって、それが大根足だったんだよね。
なんか想像した?
したでしょ。
ダメだよ、変な想像しちゃ。
事実は事実として受け止めてください。
でもって西施さん、めっちゃ昔の人です。
今から2500年近くも昔、紀元前5世紀、春秋時代末期の方です。
大昔だわさ。
日本はまだ縄文時代です。
縄文時代だよ。
かなり昔の人と思われてる卑弥呼さんより、さらに700年も前のことなんです。
すんごいねぇ~っ。
四大美人の一人は架空の人だったけど、こっちだって2500年も前じゃ、ほぼいたかいないかも・・・い~えっ、いたんですっ。
んな、力こめなくったって。
え? なに? ちゃんと文献に残ってる。
呉越春秋という書物が、それ。
あ~、そうなんですか。
呉越春秋というのは、春秋時代、呉と越というふたつの国がいがみ合い、戦争を繰り返した、その記録でございます。
呉と越。
ん?
呉越・・同舟?
あ、そうなんだ。呉越同舟の語源になった呉と越なのね。
ちゃみだってそれくらい知ってますよ。
敵と味方が同じ舟に乗ってるんでしょ。
行き先が同じだから、その方が合理的だ、みたいな?
え? 違うの?
呉越同舟という四字熟語は、春秋時代のあとの戦国時代の思想家、孫子が、たとえ呉と越の兵隊でも、同じ舟に乗り合わせて嵐に会えば、きっと力を合わせるだろう、と語ったことからできた四字熟語。
ん?
だろう・・?
だろう、なんだ。
つまりは、それっくらい仲が悪かったってことなのね、呉と越。
そして西施さんは、越の人です。
だから呉の人なんかだいっきらい。
なので・・とか、そういう話じゃないのね。
なにしろ大昔。
腕力のある男が幅を利かして、女は大事な話には加われなかった時代のお話でございます。
越の国は、今の浙江省、上海の南の方にある海沿いの地域です。紹興酒で有名な紹興市とかあるとこね。
西施さんの時代には、勾践という王様がおりました。
ところが越、隣の呉に攻めこまれてしまいます。
呉は、蘇州あたりを支配していたといいますから、今の上海から南京あたりです。
つまり、越の北に呉がある。
でもって、呉の王は、夫差といいます。
夫差の呉に攻めこまれた、勾践の越、ついには滅亡寸前まで追い詰められてしまいます。
なんとか和睦を乞うたものの、勾践さん、しばらくの間、呉王・夫差の召使として仕えなければいけなくなっちゃった。
屈辱ですよね、王さまなのに。
やがて、ようよう越の国に帰った勾践は、この悔しさを忘れないために、毎日、苦い熊の肝を舐めて、夫差への復讐を誓ったのだそうです。
熊の肝を舐めたんですよ。
しかも毎日。
熊の肝仕入れる係の人も大変ですよね。
このエピソード、あの[臥薪嘗胆(がしんしょうたん)]という四字熟語の由来となっております。
チャンスが来るまでじっと我慢するってやつですよね。
後半の嘗胆が、熊の肝です。
じゃ、臥薪は?
薪を枕にして寝たって話なんだけど、今回とは関係ないので、そのうちどこかでと蒼辰が言ってます。
臥薪のほうも復讐を誓う話ではあるんだけどね。
さて、やっとのことで国を建て直した勾践さん、いよいよ夫差に復讐してやろうと、策略を練ります。
すると、とある側近が、こんなんどうでしょうと囁きます。
それが、夫差のやつを女でダメにしてやろうという策だったのです。
よっしゃそれでいこうとなり、国中から美女を探そうということになります。
そんな中、川で洗濯をしていたところを見出された、貧しい薪売りの娘が、西施さんだったのです。
こうして、越王・勾践からの献上品として、呉王・夫差のもとに送られた西施さん、みごとに夫差のハートをつかんじゃうんですね。
夫差さんったら、もう西施に夢中。
王さまが美女に惚れると、そっちばっかかまって、国のことなんかどうでもよくなっちゃう。
たちまち、呉の国は乱れ、力が弱まってきます。
そこを見計らって、勾践さんは呉に攻め込み、みごと滅ぼしてしまったのです。
なんともはや。
けど、夫差さんのおそばにいたに違いない西施さんはどうなったのか?
実はこれ、よくわかってないんです。
けど、どうやら、越には戻れなかったようです。
勾践の夫人が、西施ちゃんを国に戻すと、ウチの旦那が夫差の二の舞になると恐れちゃった。
あは~ん。
あと、呉の国でも、妖術で王をたぶらかし、国をダメにした妖怪だと思われていた。
そのため、皮袋に入れられ、長江に投げ込まれたとか。
これが一番定説になってるらしいんですけど、なんともはや、ひどい話ですよね。
異説もあります。
美女献上の策略を立案した勾践の腹心が、西施ちゃんを連れて、越の国を出てゆき、二人で余生を暮らしたとか。
でもこれ、後世の人がほっとするために作った話っぽい匂いがしますよね。
もいっこ。
現在の浙江省杭州市に面して、西湖という湖があります。
ここが、西施さんが入水した湖だというので、西湖となったという説もあるんですね。
でもこれ、やっぱ相当あとの時代にできた話のようです。
でも西湖、すんごくきれいな湖ですよ。西湖龍井という中国緑茶の銘茶のひとつの産地であります。
それはともかく。
やっぱ、役割を終えた美女は殺されたというのが、事実に即してるのかもしれません。
なんせ2500年も昔の話。
女に限らず、身分の低い人間の命は、かなり粗末に扱われてた時代のお話でございます。
さて、そんな西施さんについて、もいっこ、今に残る言葉がこざいます。
[顰に倣う(ひそみにならう)]って言葉がありますが、あれ、西施さんにまつわる故事なのでございます。
人まねをしてして、物笑いの種になるっていうのが、元の意味。
けど今では、先人の行いを見習うって意味で使うことのが多いのかな?
それとも、ほぼ使わない?
ま、しょうがない。
[顰に倣う(ひそみにならう)]です。
どういう故事かっつうと、西施さん、胸が痛む持病があったんですって。
で、発作が起きると、痛くてしょうがないから、胸を押さえ、眉間に皺をよせる。
ところが、さっすが美女。
そんな姿さえ、なんともなまめかしく、色っぽかったんですって。
村人たち、うっとりしちゃったってゆうんですから。
すると、村の、美しくないとは言わないけど、ま、ふつうの女性の方が、「あたしも色っぽくなりたいわ」というので、西施さんのまねをした。
胸を押さえ、眉間に皺を寄せて歩いたわけ。
するとその姿は、ますます美しさから遠ざかり、村人はみな逃げ出しちゃったとか。
この故事から生まれたのが、[顰に倣う(ひそみにならう)]なんです。
あ、眉間に皺を寄せることが、顰(ひそみ)です。
さっすが。
美女と生まれたからには、これっくらいの故事は残してみたいものです。
ちゃみもぜひ、顰みに倣おうと思います。
え?
例文的には合ってるけど、ちゃみには無理だ、って?
ほっといてください。
さ、次回は王昭君さんです。
この方も、ずいぶん昔に、ずいぶん遠いとこまで行った人です。
そして金曜は、
うえ~い、ねったがねぇぞう。
どうするんだい。
どっひゃ~っと、とっしょり蒼辰が焦っております。
さて、どうなるかは、お楽しみ。
というわけで本日はここまでっ。
ちゃみでしたっ。