まいどっ。
ちゃみでっす。
早いですねぇ。二月ももう終わりですよ。
毎度のことだけど、年が明けてからここまでって、なんかもんのすごく早く感じない?
え? ちゃみも年とったせいだろ、って?
ちょっとぉ、んだよ、それ。
ちゃみが思ったのはさ、学校時代、正月浮かれしてると、あっという間に期末テストが近づいたなぁ、って、そういうワカワカしい話題を語ろうと思ってたんじゃないっすか。
え? 学校時代を懐かしむのも、年とった証拠?
う~~ん。そう言われると、そうなのかも。
っと、そんな2月の終わりの手前の、2月26日は、いわゆる2.26事件の日でございます。
これ、もう新聞とかでも話題にしなくなっちゃったね。
どういう事件かというと、1936年 昭和11年のこの日、陸軍皇道派の青年将校が、対立していた統制派の打倒と国家改造を目指し、1500人の部隊を率いて、首相官邸などを襲撃しました。
って、え?
軍隊が、首相官邸とかを襲ったの?
怖いじゃん。
ん? 要するに、軍がクーデターを狙ったんだ。
すんごい。なんだかどこか遠くの国のお話のようであります。
ニホンにも、そういう事件があったんだね。
それこそ学校でも、そんなに詳しくは教わんなかった気がする。
そして、その翌年の1937年 昭和12年の7月には、盧溝橋事件というものが起き、それをきっかけに日本は中国との戦争に突入いたします。
あ、その頃の中国は、中華民国だったんだね。
さらに、1941年 昭和16年には真珠湾攻撃があって、アメリカやイギリスとも戦争になります。
戦争は、1945年 昭和20年まで続くんだよね。
2.26事件と、その後の戦争と、どこがどういうふうにつながるかは、話が長くなりそうだから、本日は端折ります。
端折るけど、なんか落ち着かない時代だったのは、なんとなく分かります。
あれなんだよね、きっと。
落ち着かないのは、庶民でさ、なんで落ち着かないかってゆうと、権力とか、その周りにいる人たちが揺さぶってるからなんだよね。
今はさ、日本が戦争なんかするわけない、って、なんとなく楽観的に考えてるけど、時々、立ち止まってもいいのかもね。
あのさ、政治とかって、誰かがどこかでやってることって感じっきゃしないけど、いつか気がつくと、ヤバい奴がトップに座ってて、なんか反対できない空気ができてて、いつの間にかヤバいことに巻き込まれたりとか、そういうことって、絶対ないとは言えないから。
だから時々、一人ひとりが、立ち止まって、見たり、聞いたり、考えたりすること、やっぱ大切なんじゃないかな。
てなことで、それとの関連でめっけたこんな話もしちゃおかな。
1955年 昭和30年のこの日、画家・藤田嗣治が、フランスに帰化いたしました。
藤田嗣治さんは、エコール・ド・パリの時代、1930年代にパリで有名になった日本人画家でございます。
それからずっとパリ暮らしで、ついに帰化・・・したんじゃないんだ。
は?
パリ暮らしだった嗣治さんですが、やがて第二次大戦が始まります。
日本はドイツの同盟国ですから、フランスにとっては敵。敵国の国民だってわけで、フランスにいられなくなり、日本に帰ります。
待っていたのは、画家も戦争に協力せよという軍部の命令でした。
そこで嗣治さん、戦場に行きもしないで、とてつもなくリアルで、人々に感銘を与える戦争画を描いてしまった。
このことが、戦争が終わってみると、戦争協力者として責められることになっちゃったんです。
ありゃま。
この非難に耐えられず、嗣治さんは再びパリへ渡ります。
そして、まるで日本と訣別するかのように、フランス国籍を取得しちゃうのであります。
ふむ。
どう思う?
なんでもさ、反対できない空気って、怖いよね。
SNSでの炎上とかでもそうだけどさ、一方的な攻撃って、結局、なんも生み出さないものね。
ときどき、立ち止まって、考える。
これ、ちゃみも心がけたいと思います。
フジタのパリ。
おお、なんと美しい響き。
てなわけで、本日はここまででっす。
次回は週末。
おやもう、ひな祭りではないかいな。
ほいでわまたっ。
ちゃみでしたっ。