まいどっ。
ちゃみでっす。
本日、2月24日は、ロシアのウクライナ侵攻から一年でございます。
まさか、でしたよね。
なんだか半世紀も昔に戻っちゃったみたいな戦争でした。
しかも、一年たってもまだ、先が見えてこないなんて、ねぇ。
いい加減にしてほしいと思います。
けど、正義は貫いてほしいと思います。
21世紀の今日、主権国家の領土を、軍事力で侵すなどという行為は許されないものだと思います。
そんなわけで、今日はウクライナのお話をほんの少しだけ。
ウクライナの国土は、南で国会に面しています。
その真ん中あたり、最近、戦争の報道でもよく聞くヘルソンという地区には、ドニエプル川という大きな川が流れ込んでいます。
この川を遡ってゆくと、やがてウクライナの首都・キーウに辿り着きます。
反対に、河口から黒海沿いに南へ南へとくだってゆくと、やがてたどり着くのがイスタンブールです。
今から1200年あまりも昔のこと。
その頃、キーウは、ヴァリャーグと呼ばれる人々の都として賑わっていました。
そしてイスタンブールは、コンスタンティノープルと呼ばれ、東ローマ帝国の都でした。
その距離1500キロほど。
東京から沖縄くらいの距離があります。
船で行き来するにしても、10日とか、それ以上かかってたでしょうね。
それでも、キーウはコンスタンティノープルとの交易でも栄えていたのです。
やがて、コンスタンティノープルから宣教師がやってきます。
その頃から、東ローマ帝国の国境は、ギリシア正教です。
ローマのカトリックとも、ドイツから始まったプロテスタントとも違う、キリスト教のもうひとつの流れです。
東方教会ともいいますね。
さてその東方教会の宣教師のみなさま、はるかキーウの土地で、キリスト教を広めようとするわけです。
ところが、言葉が通じない。
交易してたくらいですから、商人の中には通訳できるくらいの人がいたかもしれません。
だがしかし、キーウにはまだ文字がなかったんです。
これじゃ、「聖書を読んで」って言っても無理じゃん。
さてどうしよう、というので、宣教師のみなさんは、ギリシア文字をもとに、キーウの人々の言葉を表現できる文字を、新たに作り出したんだそうです。
これが、キリル文字と言われるもの。
ほら、Nが裏返しだったりする、ロシアやウクライナで使ってる文字、見たことあるでしょ。
あれです。
確かに、ギリシア文字と似てるんですよね。
興味が湧いてきた方は、ぜひ見比べてみてください。
ま、それはともかく、こうして、キーウは、キリスト教を受け入れることとなったのであります。
ウクライナで最初に世界遺産に指定された、聖ソフィア大聖堂とペチェールシク大修道院は、まさにその遺産。ウクライナ正教の教会でございます。
歴史的には、モスクワやサンクトペテルブルグよりも早く、西ヨーロッパの文明を受け入れ、栄えていたのが、キーウであり、ウクライナだったんですね。
16世紀になると、コサック文化がここで花開きます。
ほら、コサック・ダンス。あれもウクライナが始まりだったんですね。
それから、ボルシチも。
私たちがロシアの文化と思っていたもの、始まりはウクライナってゆうものが多いんですね。
ウクライナとロシア、文化的には兄弟と言ってもいい関係なんですよね。
それなのに。
それなのに、です。
改めて、多くの市民を巻き添えにするような戦争には、早く、なるたけ早く終わってほしいものだと思います。
そして、その後の世界が、よりよくなるような結末であれと祈っています。
はい。
本日はちょっと真面目にまとめてみました。
次回は・・ありゃもう月末ではございませんか。
早いっすね。
なんとかしなくっちゃ。
ほいでわまたっ。
ちゃみでしたっ。