これってどうなの?

これってどうなの?

普段の生活の中で疑問に思うことを綴っています。
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話を聞く意味は何だろうか?
先日とは言っても大分経ってしまいましたが、水俣病被害者と環境大臣の懇談会で環境庁の職員が制限時間を越えたことでマイクの音量をオフにし、更に環境大臣がマイクの音量をオフにしたことは認識していないと発言をしたことで、後日環境大臣が陳謝する事態が発生しました。制限時間3分で被害者が思いのたけを語るには無理と言わざる得ないと誰でもが思うでしょう。最も良いのは時間制限を持たないで話したいことを全て話してそれを全て聞くことだと思いますが、現実問題としてある程度は時間制限をつけないといけないことも理解できます。
この問題でふと思ったのは、どうして被害者と環境大事との懇談会を毎年する意味は何なのだろうと言うことです。
北朝鮮の拉致被害者家族も毎年のように一刻も早く帰国を望む訴えをしています。
水俣病も拉致問題も、何も進展しないから進展を願って懇談会を開くと言うサイクルの繰り返しをしているように思います。

そもそも、話を聞くと言うことは現状を理解して問題を解決する糸口を探すもので、何度も繰り返して聞くとはないのだろうと思います。
それを何度も繰り返すと言うことは糸口を探すことをしていない、つまり話を右から左に流しているとしか思えません。被害者は高齢であり近い将来なくなっていく運命にあります。と言うこては被害者がこの世からいなくなるを待っていることになります。

そして後日涙での陳謝にしても、本心から最後まで話を聞くことができなくて申し訳ないと言う涙であるなら、どうして当日最後まで話を聞くkとをしなかったのかと思います。大臣の言い訳ではスケジュールが詰まっているから時間制限を設けたとやら言っていましたが、ならばもっと時間が取れるときに開かなかったと思ってしまいます。

毎年話を聞いても精度やら支援は全く進まないことを思うと、単なる被害者のガス抜きではないかと思います、また、大臣の涙も私が時間を区切ったわけでもマイクの音量を切ったのでもないに陳謝しなくてはいけないことが悔しくて仕方がなかったとも思ってっしまいます。
水俣病の終わりは被害者全員が死亡した時になります。何を言われてもその時を待っている政府の対応を感じてしまう私です。