下北山村の池神社・明神池と高野山立里荒神 | 修行僧 道覚

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とうりゃんせ とうりゃんせ

高野山の奥に立里荒神様があるんですが毎月高野山に参拝している私は

前々から一度行ってみたかったんです。ところがひょんな事から近所の飲食店で知り合った

Oさんと言う方が立里荒神様に行くんだったら一緒に行きたいと言われるので 思い切って

行くことにしたんです。そして例祭勤行の日にiPadで検索した地図、写真を先生に見て頂くと

立里荒神様が参拝に来てお札を持ち帰り祀りなさい。守ってやると言葉があったんです。

家に帰り早速行く段取りにかかりました。立里荒神様迄行くのであれば少し足を伸ばし母親の故郷

の池神社、明神池の龍神様にも参拝しようと考えました。前の晩にOさんに珠数など持って行く物

や服装なども伝えました。

参拝の当日は朝5時に出ました。走りに走ってカーナビで後500メートル程の所に来た時

道路が閉鎖(この地区は紀州の風雨災害でいたる所で道路が寸断してました)余儀なく

吉野のダム湖を迂回し現地に着く迄2時間程のロスでした。着いたのは正午頃だったと思います。

神社は山の中の静かな場所にありました。池には大きな鯉が何百匹もいました。

エサをやると鯉のしぶき音が山に木霊しました。その昔池神社の七不思議があり明神池の

鯉を釣ると明神池の龍神様の祟りがあると言われていたそうです。

だから鯉の大きさはみんな1メートル越えばかりでした。そして明神池の龍神様の社の前で

Oさんと私はお経をあげました。終わってからOさんが拝んでる時に誰かに掴まれた

感じがしたと言ったのですが その時は気のせいやろと思ってましたが、帰った次の日に

Oさんが店に来て服の袖あげるとクッキリ誰かに掴まれた青アザがあるんです。
(道覚さん気のせいではアザはつかないやろ、と 言ったんです)
池神社を後にして私達は立里荒神様に向かいました。

またまた山道を走るに走りました。途中に玉置神社がありましたが時間的に参拝は無理なので

ひたすら走りました。5時迄に着かないと社務所が閉まってしまうので急ぎました外は霧で

前方が見え難い程でした。午後5時過ぎに立里荒神様に着き急ぎ参拝に向かいました。

霧が立ち込める参道を登り本殿に(この時Oさんは私の後ろからついて来てましたが霧の中で涙が

込み上げてきたそうです、私はOさんの魂が感応したんだろうと思いました)

参拝し参道を降りて行くと霧の中に提灯の薄明かり社務所と書いてある。

社務所が開いていて良かったと思った。二人はお札を求め夜の9時前に帰宅、ハードな1日でした。

後日、例祭勤行日に先生に報告がてら池神社、明神池、立里荒神様の写真をお見せすると

先生から言葉がさがりました池神社辺りは平家と源氏の凄まじい合戦場で多くの死者が出ている、

そして明神池の龍神様は少し力が衰えているとの事、そう言われた直後
(道覚さん ちょつと待って龍神様が話しかけてくる)

龍神様からさがった言葉は次の様な事
【 悲しみ 苦しみ ひとしおなれど この世の試しが きっかけぞ 身にも余る光栄ぞ 宜しくお願い致す
ぞよ 龍神、荒神 胸に守本尊入れてある 宜しくお願い申したぞ 口も閉じよ 今世で終わりにせよ こ
の方以外にもう会えぬぞ 末身は悲しい 再び訪れよ 平家も待っておる 落武者なれど虚しく日を過ごす事なかれ 掴み申した龍神である 苦悩するな 因縁解かれよ 】

私はOさんが掴まれた青アザは龍神様が掴んだアザと知りました。

そしてこの龍神様のお言葉はOさんと私に下さったと私は感じました。何故ならばOさんと

私の出会いは偶然とは思えない一致があったんです。

この頃から私は偶然とは無くすべて必然的に世の中は動いていると思い出した。

次回はOさんとの出会いを記します。


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