
しかし、意外と級友たちは、さっぱりとしている。自分と遊んだ友の事も、会えなければ仕方がない。本人の都合だから。まして遊んだこともない友だったら、なおさらである。変に割り切っている。クラス会や食事会に誘って来なければ、来たくないのだから、それ以上は、本人の勝手?と敢えて誘わない。こちらの都合である。誘っても来ない人は、それ以上は誘わない。自分にも限られた時間の中での事情がある。確かにそれもよくわかる。当然である。でも今回、幹事をやってみて自分との大きな違いを感じた。
クラス会に出席することが、クラス会ではないと思った。自分の会ってみたい人に自分から話す事も自分の中のクラス会だと思った。たまたま今回、幹事と言う立場の特権?で電話連絡することになった。あれから数十年。転校してしまったから、自分の中でも記憶がほとんどない級友にも、おぼろげには覚えている級友にも電話をかけてみて、自分の発見をした。相手といろいろな話ができるのだ。普通だったら、一通りのことを話せば、電話を切ってしまう。
しかし、小学生時代の話をすると、意外?と話が続くのだ。当時の級友とはいっても、話したことも遊んだこともない人でも、当時はどの辺に住んでいて、周りに誰がいて、どんなことをして遊んだのか?そんな話からいろいろ話をすると、クラス会にはほとんど出たことがない人でも、クラス会には出にくい理由を聞くことができる。また、いつも出席しない人も話はしてくれる。やはり話をすれば、当時の自分を思いおこす?のかもしれない。
級友たち一人ひとりに彼らの気持ちになって聞く。これがクラス会の幹事としての役目ではないか?と感じた。その人の会いたい人の情報を、クラス会と言う名目で、知らせてあげるのも幹事の大事な役目ではないか?と感じた。頻繁には会えない級友たちをつないであげること、これが幹事としての大切なことだと感じた。