白川郷
昔、大家族制度がこの地では、営まれていました。
22人の人が同じ屋根の下で生活していた、という記録もあります。
限られた土地では分家することが許されず、長男以外は、正式な結婚が認められず、つまどいと言って私婚しか出来ませんでした。
そこで子供が生まれると、母方に引き取られ育てられるのです。
おじ、おば、甥、姪が一緒に暮らし、大人数になるのです。
大勢の人たちをまとめるのには、規律が必要です。
家長はごてと呼び、絶対的な権力を持っています。
その妻を、かかあと呼びました。
長男はあにと呼ばれ,優遇されましたが、決してわがままは許されませんでした.。
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男の子はぼうと呼ばれ、畑仕事、養蚕の手伝いをし、女の子はびいと呼ばれ、子守や機織です。
子供は重要な働き手です。
親戚の男衆から畑頭を、女衆から鍋頭を選び、それぞれ仕事の統率を任せるのです
大家族制度は厳しいながらも、そこには愛情があふれていました。
貧しいところでは、楢山節考のように姥捨て山に親を捨てに行ったり、口減らしのため、人買いに売ったりするところがあったようです。
しかし、この白川郷は決してそのようなことは無く、子供が生まれると働き手になると、喜んだくらいです。
地元の民謡の古太尽(こだいじん)は、子供大事がなまったものですし、次の歌詞にも年寄りを大事にしたと言うことが現れています。
おーらがささよ~
隣の八べえのばばさ、年は99で嫁入るなさる。
前歯2枚にお歯黒付けて、白髪三筋に黒鬢つけて、
ばばさ起きゃれと孫子の意見、
起きにゃあなるまや出雲の神が
結ばしゃんした~ありゃさ縁じゃもの・・ささよ~
自給自足の生活で、身近にあるものを食べ、身近にあるもので家を建てる。
結いと言う助け合いの精神で、厳しい生活を乗り越える
知恵のかたまりと、情がある人々の絆が育んだこの白川郷の、この合掌造りが世界遺産になったのだと思います。
これから時々、テーマ 観光地 として、白川郷、高山、郡上、下呂、岐阜のことなどをわかりやすく紹介します。
私の覚えてる範囲ですので、史実と違ってたら、遠慮なくご指摘ください。
地元の方には地元をより知ってもらえたらと思います。
また遠くの方には、岐阜の良さを知っていただき、足を運んで頂けたらと思います。
隣家の庭に咲いてます。