当山近くにお住まいの方で、今ある墓地(共同墓地)が八王子の方で遠いので、当山に墓地を求めたいという事で来られた。墓地を求められるという事は檀家になるという事と説明した。順序としては、逆になる。つまり、先ずは菩提寺を支える檀家さんになることで、菩提寺としては境内墓地をお貸ししましょうという事になる。
菩提寺になる当山は真言宗豊山派なので、その宗旨に賛同して檀信徒になる。
当山は以前に信仰していた、また別の宗派に関わっていたり、その家で別の宗派で葬儀をしていても、以前については問わない。これから真言宗豊山派・光明院の寺院規則を守って新たな信仰の道を歩んでもらえればいい。
昭和59年に墓地を分譲した時は、以前の宗派は浄土真宗だったり、曹洞宗だったり、いろいろだった。それも、本家筋がそうだったという話で分家した者には新しいご縁で真言宗豊山派・光明院を菩提寺にしても良いと言う方が殆どだった。
本家は妙光院さんの檀家さんで、妙光院さんには空いた墓所がないということで当山が墓地分譲していた頃に当山に墓地を求めて檀家になった。こういうケースは同じ真言宗豊山派なので全く問題なかったが、本家が別の宗派だった場合は本家と違った宗派になる。
考えてみると、本家の先祖が菩提寺を決める時は、いろいろの条件が重なってのご縁で決めている。ご縁であって、宗派研究の成果で決めたわけではないだろう。
そうすると、今の人が新たに菩提寺を決める時も、いろいろの条件が重なってのご縁で良いのではないか。そう思う。
今回当山に墓地を求められた方は、宗派は臨済宗だと言う。
近くに真言宗豊山派の光明院があったというひとつのご縁。気に入った墓所があった。いくつかのご縁が重なったという事で、今までの臨済宗から真言宗に転宗派しても良いという事になった。しかし、今まで守り守られてきた臨済宗を捨てがたいという事で、入檀の話は無かったことになった。
唐の時代の臨済義玄を開祖とし、鎌倉時代初期に栄西によって日本臨済宗は開かれた。栄西は岡山県の神官の子。11歳で天台教学を学び、14歳で比叡山に入る。
当山からクルマで10分程の所に在る府中国立メモリアルパークを紹介した。
そこは過去もこれからも宗派を問わず使える霊園になっている。
終わってからシャワーを浴びた。誰もいなかったから良かったが、5つか6つあるシャワーには衝立もカーテンもない。