檀家さんの愛猫が6月17日に18歳で、愛犬が7月13日に15歳で亡くなったとのこと。

 

亡くなってから、電話での何回かのお話で今日を法事納骨の日とした。

府中にあるペット専門(人形供養などもあり)の寺院・慈恵院

で荼毘に付し、骨壺2つと白木の位牌を2つ持って来られた。

                                           

当山は、胎蔵界曼荼羅の教えの通りに動物と人間を命の尊さで分けない。当然人間のなかでも分けない。全ての生きとし生きるものの命は仏さまの命でもある。

仏教はその精神を敷衍して、物にも魂を見て供養する。人形供養であり、針供養というのもある。

 

そういう当山とは違って、ペットの法要を受けない僧侶、寺院もあります。
これは寺院や僧侶の解釈によって違うのですが、「人と動物は生きる道が違う」としてペットの読経供養を行わない僧侶もいると思います。
 
輪廻を説く仏教では、生まれかわりの「六道(六界)」があります。
生前の業に倣い死後に歩む六道では、下記六つの道が説かれてきました。
 

<仏教の六道>
・天道…天国の世界
・人道…人間の世界
・修羅道…阿修羅/暴力などの世界
・畜生道…動物の世界
・餓鬼道…餓えの世界
・地獄道…地獄の世界            

 
人間は「人道」動物は「畜生道」に分かれるとされるためです。
また浄土真宗では「南無阿弥陀仏と唱えても、動物の供養にはならない」と考える僧侶もいるでしょう。
 
ただし浄土真宗の僧侶であっても「回向(えこう)」として読経供養を行う僧侶もいらっしゃいます。
 

 真言宗の僧侶でも解釈はさまざまです。

 
ただ人道と天道のみが善(趣)、残る四道は悪(趣)とされるため、あまり良い気持ちはしない飼い主は多いです。
そうでなくても、愛するペットを「畜生」と言われるのは嫌だと思います

本能だけで生きるものを畜生道と言われますが、そのような人間もいます。

形は畜生道でも、忠犬ハチ公のように仁義を忘れない畜生もいます。

 

侵略戦争をするプーチン等は生きながら修羅道を進んでいます。

 

ペットを愛する気持ちを理解している僧侶に、手厚く読経供養を行ってもらうといいでしょうね。菩提寺があれば、先ずは菩提寺に相談。

 

 

今日の方の菩提寺である当山の考えを記せば・・・曼陀羅の教えで、大日如来の命と共に、人間は勿論、動植物は存在している。それが大日如来と言っても良い。

命の尊さで人間と動物を分けない。当然人間の中でも分けない。

仏教は究極の反優性思想と言っても良い。そんな気持ちで、檀家さんの愛犬と愛猫の2霊の供養をした。

 

本堂での法要は参列者3人で、読経は20分位だった。その後に墓地に行き、石屋さんの手で納骨。