昨日、光明院通信・お盆号のあとがきを考えがまとまらないまま書いた。

結論が出てないまま書き始めてしまった。

 

書いた本人が、なんかおかしいと思っていては読んだ人はもっと分からない。

昨日のブログに載せた文章を家族に見せた。

 

先ず第一に、前半の「不適切にもほどがある」の文章と十善戒の事がつながらないと言われた。書いている私自身もそう思った。なぜここに「不適切にもほどがある」の文章を持ってきたか、意味が分からない。

 

それに、不綺語の説明で、「無意味なおしゃべりをしない」がどうなのだろうと疑問を呈された。親しくなるためには無意味なおしゃべりも必要なこともあるのではないかと、言われた。9番目の不瞋恚の説明で「耐え忍んで怒らない」と書いたが、怒ることも必要な時もあるのではないの?とも言われた。

さらに結論になる最後の一行「被害者になっても心の痛手は少ない人格となるだろう」もおかしいと言われた。

 

そうだなぁという事で、全面的に書き直すことにした。

 

文頭の「不適切にもほどがある」に関しては、全部削除した。

それと十善戒についても、全部削除した。

不殺生、不偸盗、不邪淫、不慳貪、はよく分かるが、その他については完全には理解していないようだ。日常の言葉に訳してみると、突っ込みどころあるようになってしまう。つまり、不綺語の説明で、「無意味なおしゃべりをしない」と書いたが、時と場合によっては「無意味なおしゃべり」も必要なこともあるのではないか。もう少し自分の中で消化してから語りたい。