月刊住職の「住職関心事アンケート」結果が5月号に公表されていた。

アンケート質問②で「この世に『寺院』はなぜあるのですか?」。

檀信徒から面と向かってこう質問されたら住職は何と答えるか。

 

先ず質問されることはないでしょう。

必要だと思っている人は、疑問に思わないのでこういう質問はしないでしょう。

不要だと思う人が訊く内容です。それは深浅の差はあれども、仏教を必要としていない、寺院を必要としていない人が訊く、潜在意識として無くてもいいのにと思いながら、なぜあるのですか?と訊くのではないでしょうか。

 

廃仏毀釈の時など、仏像や寺院の損壊されることがあったのですが、それに抵抗したり、壊された仏像や伽藍の再建再興をする住職と檀信徒の精神的根拠として「寺院」の存在意義を考えておくことは必要だろう。

 

 (非日常の空間が必要だから。自分を見つめ直す空間だから)

                  広島市浄土真宗本願寺派住職。72歳

 

 (苦しみや悲しみから解放される道を尋ねる場所が必要だから)

                  愛知県真宗大谷派住職。66歳

 

(「孤独」の恐怖があるから)大阪府浄土真宗住職。51歳

 

(安らぎや救い、敬虔な気持ちを求める人がいるから) 

              大阪府浄土真宗本願寺派住職。50歳

(心を落ち着かせて、自分と向き合うため)大分県曹洞宗住職。66歳

 

(この世において「苦」があり、煩悩が尽きないから)長野県浄土宗住職

 

(学問をするところ、修行の場所、仏像を安置する場所。仏像とは人間の化身像である。男性でも女性でもない、人間の究極の姿である) 

              茨城県高野山真言宗住職 76歳

 

(出家者、修行者、信者が集まり、仏教を学び、修行し、信仰を深めるための場所が必要だからだ。ただ現在の寺院は仏事法要の祈りの場になっている。法要の折に法話を勿論するが、寺の荘厳な堂塔や手入れされた境内のたたずまい、庭園も無言のうちに参拝者の心に癒しを与えているのではないか)

               山梨県高野山真言宗住職。76歳

 

(人々の心に仏の教えが根付く拠点として、布教活動のよりどころとして、伝道する僧の居所として) 東京都真言宗豊山派光明院 小川亮昌住職 79歳

 

        👆出ちゃった。

 

(宗教行事に参加する人々との横のつながりを深めることのできる場として、いのちのとうとさを学び、自分を省みる場として)

               京都府浄土宗西山禅林寺派住職。75歳

 

(法を説くためにある。生と死と欲望の三つを解決した象徴としての仏様を祀る場や、自らの心を静める場として必要) 滋賀県住職。84歳

 

(仏教が滅亡しないための最前線にある) 神奈川県高野山真言宗住職。

 

(あらゆる宗教に必ず宗教儀礼を催す場があります。寺院はその宗教儀礼を執り行う公式の場なので、必要不可欠と考えます) 新潟県曹洞宗住職。

 

(いかなる宗教でも象徴するものがあり、それを求める人の集まる所が必要だからでしょう。寺院に限ったことではないのです。愚問です)

                 栃木県真言宗智山派住職。65歳

 

幾つか抜粋して掲載させて頂いたが、それぞれの視点で書かれているのでしょう。

 

ご自坊の様子にもよるでしょうね。樹木生繁る広大な境内に、立ち並ぶ堂宇や山門、なかには古色蒼然とした池があるような寺院はその景色も仏の説法と言えるかもしれない。

それとは違って、一般的民家と変わらない規模でも寺院の名を看板にして都市開教を志している初代、2代目の方もいらっしゃる。その方は、布教活動、信徒獲得の拠点と書かれたかも知れない。

 

(仏教を伝えるため)と書かれていたのは、神奈川県真宗大谷派礼正寺・岡憲雄住職。

先日、月刊住職のこの記事にお名前があったので、昔ある所でお会いした仲なので、電話をして岡さんとお話した。

岡憲雄住職。(83歳)は地方の縁ある寺院が廃寺となり、それを神奈川県に再興された。具体的なお話を伺うと大変なご苦労されたようだ。

何しろ檀家(真宗なので門徒)がいない。お墓がない。ゼロからの出発。

 

お仕事をしていた50歳の頃、発心することがあって退職されたとのこと。収入はやめる前の方が全然良かった、今もその時と大して変わらないけどと笑っておられた。