施餓鬼会の翌日だが、1周忌法要があった。施餓鬼トーバが本堂に並んでいる状態。

当日に参加者に配ったお菓子が30ほど残っていたので、今日来られた人に渡した。

昼頃には無くなった。施餓鬼会当日に来られた方のために用意したものなので、当日来られなかった方には鶴屋義信のお菓子を渡せないのは仕方がない。

当日も配ったが、欠席された方にもお線香は渡せた。

年齢的なものや病等で2階本堂に上がれない方が多い。2階本堂にアイウエオ順に立てかけてある塔婆を寺内の者が2階まで上がって持ってくる。

夕方まで、パラパラ続いた。

暫くは本堂に立てかけて置くが、そのうち下に降ろす。

 

夕食後、録画しておいたBS NHK 「老害の人」を妻と観た。

内館牧子原作で出演者は、伊東四朗、三田佳子、羽田美智子、白川和子、他。

役者もうまいし、内館牧子の原作も良い。

録画なので、第3話を観た。BSNHK、午後10時からの番組なので、観ている途中で、「録画が始まりました」のテロップが出た。

 

本も役者も良い。笑いながら考えさせられる。老害になる年代の私としても、よくよく教訓としなければならない。大問題にならなくとも、小さな老害もあるだろう。

自分ではそんなつもりはないけれど、過去を語る時に結果的に自慢につながっていたりするかもしれない。

老人の自慢によく言われるところで「病気自慢に、孫自慢」なども、聞かされる側の気持ちになると老害、小さいけれど老害になるだろう。

話している相手の気持ち、特に若い人の気持ちを分かることだろう。想像するしかできないが、その想像が大事なのだろう。

勝手な想像ではなく、その人の本音に迫る想像。それが出来るのは、人間を知ることだろう。

手塚治虫が赤塚不二夫に言った「マンガを勉強するのは、映画を観たり、小説や詩を読んだり、芸術作品を観ること」に通じるものがあるだろう。