寺院住職実務情報誌「月刊住職」の5月号に、今年の1月と2月に実施した住職関心事アンケートの結果が紹介されていた。

アンケートは7つほどの質問があり、今回はこの世に宗教はなぜあるのですか?と

この世に「寺院」はなぜあるのか?の2つの結果報告だった。今日は最初のこの世に宗教はなぜあるのか?の回答を「月刊住職」から転記して紹介します。

 

答えは1行から数行の短いもの。回答は匿名の方もあるが、県名と宗派と氏名、年齢が記されていた。2問とも私の回答が記されていた。

 

この世に「宗教」はなぜあるのですか?

 

《人が毎日暮らしていくと、苦に出会う。苦は言い換えると「思うようにならぬこと」。その苦に対する心の持ちようを説いていくため》

浄土宗西山禅林寺派・71歳

 

《宗教イコール哲学、人間の生き方の方法論である》

高野山真言宗・76歳

 

《人間は弱い生き物のため、何かにすがろうとします》

単立・70歳

 

《人は絶対者に近づく手段を探したいものだから、その手段として宗教がある》

日蓮宗・39歳

 

《この世に人間という存在があるから》浄土宗住職

 

《宗教とは、空気のような存在ではないか。空気がないと人間は生きられない。充実した人生を送るために必要ともいえる》高野山真言宗・76歳

 

《生きている間の心の支えと死後の安心感》

真宗大谷派礼正寺・岡憲雄住職(83歳)

この方、何度かお会いしたことがあり、手紙のやり取りをしたことがある。懐かしい。

 

《人間に心(頭脳)がある限りなくならない》曹洞宗・74歳

 

《この世に不完全な人間がいるから》浄土真宗本願寺派・50歳

 

《人間が悩み、苦しみ、そこからの救いを求めたから》浄土真宗本願寺派・72歳

 

《人間だから》日蓮宗・70歳

 

《人間はその時々において苦しむから》真宗大谷派・66歳

 

《物事の疑念に対する解決法として直接的に答えようとするのが学問であり、間接的に答えようとするのが宗教である。すなわち前者は「疑心」であり、後者は「信仰心である》

滋賀県浄土宗従縁寺・M住職(90歳)

 

《「死」の恐怖があるから》浄土真宗・51歳

 

《この世で頼れるものは何ひとつない。仏の教えだけが真である。それが私にとって宗となる教えである故に、必要である》

真宗・86歳

 

《この世の中で宗教を持つのは人間だけです。なので、人間社会だからこそ宗教があると考えます》曹洞宗住職

 

《この世に住む人に、よりどころをもたらすため》臨済宗妙心寺派・47歳

 

《人々が心の安寧をもって生きていくため》曹洞宗・66歳

 

《不合理、不条理な現実があり、そこからの救いを求める個としての弱き人間の観念から人知を超えた偉大なものを求めて、宗教はある》👈これ、私の回答。

 

《生きている者はなぜ死ぬのか分からない。死後の世界はあるのか知りたい。生きる支えが欲しいから》曹洞宗・70歳

 

《人はなぜ生まれ、死んでいくのか。また、子孫繁栄以外での生きる価値に対する疑問の答えとして、宗教は存在する》浄土宗住職

 

《人が生きていくのに必要だったから。ただし宗教側からの強要やおどしやだましを見破る智慧が必要となる》日蓮宗・70歳

 

《生きる意味の探索。苦しさから脱出するため。生きる喜びを得るため。避けられない死を正視し、意味あるものとするため》浄土宗西山禅林寺派・75歳

 

《この世に生きる人が自らの人生を幸せに生き抜いていくのに必要だから》

浄土真宗本願寺派・47歳

 

《いつの時代でも人々は、心の豊かさを求めるからだと思います。貧しい方々の心の支えとしても》真言宗醍醐派住職・44歳

 

《心の平安、安らぎを得るために。それは心で思うことと、行いの法則を知るため》

真言宗住職・81歳

 

《生と死があり、その間には欲望がある。その三つを克服できない人間がいる以上、宗教はなくならないし、新たな宗教もおこりうる》

滋賀県・84歳

 

《食べて生きてゆく日常生活のほかに、心的にもう一つの世界があると本能的に思っている》曹洞宗住職・84歳

 

《我々人類の側から見れば、人知を超えた存在が無いと人が惑うからではないでしょうか。国王より大きな存在が必要なのです》

真言宗智山派・65歳

 

《いろいろな人がおります。自立できる人もいますが、心の動きを消化できず苦しむ人もいる。そんな人には大いなるものの存在が救いとなります》

浄土宗住職・70歳

 

《現世での不安を解消するよりどころであると思う》曹洞宗住職・70歳

 

《人間の生きる指針だから》曹洞宗・72歳

 

《人間が自然という神秘的な存在に翻弄されていることに気付き、調和する手段として敬虔な感情が起こり、宗教心が芽生えた。この普遍的な理念は人生の羅針盤として、又この世とあの世を生き抜く智慧として、安心立命を得るために尊崇されている》真言宗御室派・76歳

 

《今を生きているから》真宗高田派住職・64歳

 

《人間として生きる指針となるもので、生活の支えとして宗教が存在しているため》

曹洞宗・75歳

 

《生きていくことは大変です。そこに指針があり、尊敬する対象があると、より楽しく、豊かに、有意義に暮らせると思う。ただ宗教は「万法に証せらるる」ものでなければならないと思う》曹洞宗住職・75歳

 

《人は夢を見る。叶えたいという想いが形を求める。それが宗教の根本理念。想像力を育む概念が形成された。それが宗教。哲学的には観念論》

高野山真言宗・77歳

 

《誰もが不安から解放されたいため》真宗大谷派住職・78歳

 

《人は拠り処として崇高で神聖な存在を求めるものであり、故に宗教という概念が必要となった。背景に不安と畏怖がある》曹洞宗・78歳

 

《この私が生まれてきたことの意義を教えるため。この私が存在することを通して道理を知らせるため》真宗大谷派・74歳

 

《苦悩から脱却するためだと思いますが、現実に宗教が、自身がその役割を果たしているのか自問自答しています》浄土真宗本願寺派・54歳

 

《苦しみという概念を持っているから。我々は時間や変化を理解し、理不尽な出来事が沢山あるから。サルはたぶん苦しみをすぐ忘れる。人間も忘れるが忘却曲線が少し長いのと、社会性によって忘却に耐えることを強いられる》

浄土真宗本願寺派・46歳

 

《「ひと」が「人」として生きるため。全ての人が倖せに生きるためにあるはずなのですが・・・・》時宗・73歳

 

《人間はパンのみでは生きられない。どんな民族でも、何らかの宗教を持っている》

天台宗・88歳

 

思うことは皆さん同じかもしれない。表現に個性が現われている違いかもしれない。