👈 バリカンで一番短くした。剃髪に近い。

夕方の6時に近くの理髪店「リスト」に予約した。2階にある理髪店「リスト」に6時に行ったら、前の人が髭剃りをしていた。中に入って待っていることも出来たが、焦らせても悪いので、家に戻って、時間が6時10分になってからまたそこに行った。

それほど家から近い理髪店。

前回は3分刈りにしたが、今日はバリカンで一番短く刈ってもらった。剃髪は手で触ると肌を触るようにツルツルだが、バリカンを使うと髪の毛の感触が大いにある。

しかし、見た目は剃髪と同じ。

 

多くの僧侶の頭は丸刈り、あるいは剃髪だ。 僧侶特有のスタイルの根源は、仏教をひらいた釈尊(ブッダ)が出家、修行の際に剃髪したからといわれる。仏教発祥以前のバラモン教がそうしていたからという説もあるが、どちらにしても 髪を伸ばすということは、修行の妨げになるという考えがある。 つまり、髪を伸ばしていると、飾り立てたいなどの欲がおき、あるいは薄毛が進行した際には、悩みや執着が生まれるというのが一般的な人情としてある。薄毛になっても禿げても、髪の毛なんか気にならないという人も勿論いるだろうが、気にする人の方が多いだろうということを前提にしている。

 

大事なのは、

《頭を剃ったからといって、戒め守らず、偽りを語る人は、「道の人」ではない。欲望と貪りに満ちている人が、どうして「道の人」であろうか?(ダンマパダ264)》

 

つまり、「頭を剃って出家して僧侶になっても、堕落した生活を送る者は僧侶とはいえない」と、釈尊は語っている。

現代日本の僧侶は「形」が大事なのではない。いかに、正しい生活を送り、苦しむ人々に寄り添えるか。僧侶の本質が問われている。

 

堕落まではともかく、苦しむ人々と共にある生活をしているとは言えない私は、真の僧侶になろうとしている表れとして、せめて坊主頭にしているのかも知れない。