日本仏教各宗を中心とした宗教情報紙「中外日報」の3月15日号に、映画を製作する寺院のあることの紹介記事があった。

 

舞鶴・養徳寺の松浦住職がつくった自主映画作品。

 

中外日報 舞鶴・養徳寺の松浦住職が自主制作映画

 

養徳寺のホームページ👆から全作品が、無料で鑑賞できる。

 

他にも、映画製作をしている寺院(融通念仏宗・浄念寺)住職がいた。👇

法務励む傍ら映画製作 人生の重さに添う話を

奈良県斑鳩町 融通念仏宗浄念寺 横田丈実住職

キラリ 頑張る寺社・宗教者・宗教施設2023年4月7日 12時43分

「肩を寄せあって」の撮影風景。中央が横田住職 「肩を寄せあって」の撮影風景。

中央が横田住職

奈良県斑鳩町の横田丈実・融通念仏宗浄念寺住職(57)は同宗布教師会の会長として活躍する一方、映画監督としての顔も持つ。このほど17作目となる新作「肩を寄せあって」が完成し、4月から奈良市のならまちシアター青丹座で上映会を開いている。

映画への関心は幼い頃に祖父によく映画館に連れて行ってもらったことがきっかけで深まり、龍谷大在学中に映画研究部に在籍したのを機に映画製作を開始した。自坊に戻った大学卒業後も父の兼章住職と法務に励む傍ら映画製作を続けてきた。脚本も作成する。

もともと脚本を基に俳優が演じる劇映画を製作してきたが、転機になったのは2013年公開の「加奈子のこと」だ。

同作は妻を亡くして独居生活が始まった77歳の男が抱える喪失感などを描く。劇映画として製作したものだが「妻を亡くして『さびしい』と泣く独り暮らしの檀家の話」を基にした。初めて「映画とお寺の仕事が重なった」と振り返る。

当時、住職を継職する一方、東日本大震災の被災地の病院で映画の上映会を開いていた。そこに集う被災者ならではの思いの深さや医療従事者の専門性などに接して改めて自身の在り方を問われ、「檀家さんとの関わりが僧侶としての本分と思い、そちらに自然とカメラが向くようになった」という。

その後、17年に斑鳩町で暮らす7軒の家族を自ら訪問して遺影の話を聞くドキュメンタリー映画「遺影、夏空に近く」を製作した。今作の「肩を寄せあって」もドキュメンタリーで、1999年に浄念寺の隣接地に建てたテントで開いた映画の上映会に集った近隣住民20人の“その後”を尋ね歩いた。

存命は一人だけ。遺族への聞き取りや、20人のうちの一人で2019年に死去した兼章氏の最期などを収録している。「共に生きる姿と共に亡くなっていく姿。だからこそ、この瞬間が大切ということを描きたかった」と話す。

日頃の檀家参りではその人固有の物語化された話を何度も聞くことがある。「私の作品には大きな社会性はないが、そうした“小さな話”を大切にしたい」。布教師として法話する際も映画作りで出会った人々の顔が浮かぶことがある。「様々な経験を重ねてきた方々の前で法話をしているが、それぞれの人生の重さに寄り添う話ができているか」。近年はそう自問しながら考えを深めている。

(池田圭)

 

このような映画監督の僧侶がいる。玄侑宗久・今東光など小説家の僧侶がいる。今東光など議員にまでなった。我が宗派にも何人かいるが、弁護士の僧侶がいる。

川野泰周さん・村瀬正光さん等の医師の僧侶がいる。

玉置妙憂さんは看護師の僧侶だ。

それだけで生活できる収入が有るか否かを別にすれば、画家や彫刻家もいるだろう。

書家は僧侶の仕事と合わさるところもあるので多い。

 

当山の伽藍は平成七年に落慶法要をしたが、その設計監理は同宗派の小金井市の太陽寺住職で、勿論僧侶だ。

 

現状は謂うほど簡単ではないが、僧侶は生き様でありたい。ブッティストとして生きて、能力、チャンス、があれば自分の好きなことをすればいいと思う。僧侶は職業というより、生きるバックボーンでありたい。生き様でありたい。