寺内である法事は副住職に任せ、昨日の通夜も副住職に任せたが、今日の葬儀は出仕した。府中の森市民聖苑で12時から。タクシーで行ったが、正式の名前は分からないがタクシーを呼んだ時の料金、迎車料とでもいうのだろうか、今まで300円だったのが500円になった。帰りのタクシーの迎車料は400円だった。会社によって違うのかな。迎車料が出来たのはそんな昔ではなかった。自分のために呼んで、特別に来てもらうのだから受益者負担の一種かな。

 

葬儀の参列焼香者は親戚縁者で20人程。近しい方ばかりなのだろう、葬儀式参列者と荼毘・収骨された方は変わらなかった。いつもは戒名の説明等を式場で話すのだが、収骨までの時間に会食をしたが式場と同じ方々だったのでその献杯前に話させてもらった。故人は孫にも礼儀等について厳しかったようで、若き頃には息子や娘に対しても厳しくあったようだ。しかし、告別式の時、棺に花を入れる時、荼毘に付される時の娘さんやご子息(還暦前後でアラ還)の悲しく寂しい涙する様子を見ると、厳しさの基本に愛情があったのだろうなと思った。ご子息が棺のなかの父親にかけた言葉が「ありがとうございました」。

「父を尊敬していました。自分も尊敬されるような生き方をしたい」出棺時の挨拶のなかで言われていた。

息子に尊敬される父親は、それだけの生き方をしてきたのだろうが、嬉しいだろうな。父親の生き方を認めて尊敬する息子の精神的姿勢あってこそでもある。人間関係は相互的なものであるのは真実だと思う。

家族は構えない本音で生きる日常を知っているだけに、それに失敗もあるだろうし、家族を尊敬するには人間的豊かさで人を見る目がなければならないだろう。