今日は少し離れた、車で40分ほどかかる霊園、多摩境フォーシーズンメモリアルでの法事があった。霊園等外での法要は、原則として副住職の担当にしている。それで、副住職が出仕した。今年最後の法要になる。

 

年末の挨拶で檀家さんが玄関に来られる。その都度マスクをして対応していた。

お寺を支えて頂く、檀家さんからの付け届けと言うのがある。それを受けたお返しと言う訳ではないが、付け届けをいただいた後、こちらから渡すのは榮太樓の飴、宗派の季刊誌「光明」と宝暦、仏教情報センターの機関誌「仏教ライフ」。仏教情報センターの令和5年版「ライフカレンダー」は希望者のみ。

 

「無理をしてはならない。」と書いてある上記の言葉は、松下幸之助の言葉と言う。

私にとって今日は無理のない一日だった。無理とは、理に沿わない、または理に反することなのだろう。無理が通れば道理ひっこむ、というくらいだから。

「無理をしないといけないのはレベルが低い証拠。」とあるが、確かにそうだ。そういう意味では、ついつい無理をしてしまうこともある。

「努力はしても天命に従う。」とあるので、松下幸之助さんは努力することまでもは否定していない。努力はしても天命に従うというのはあるがままであれということだろう。

私の座右の銘はそれに似ている。「なるようになる」が私の座右の銘である。

どうあがいてもならないもの(なれないもの)にはならない(なれない)。

諸法実相を悟ることだと思う。良いと思う方向に向かっての努力はするが、結果は受け入れ、その先があれば、受け入れた実相から進む。そんな意味で、「なるようになる」を座右の銘にしている。先のことを心配しても、仕方がないということ。良いも悪いもなるようになる。