あとがき
◇仏教では沢山の仏さまがいらっしゃいます。特に大日如来の世界・曼荼羅を本尊とする真言宗ではお名前がついている仏さまだけでも何千といらっしゃいます。年末に行われる三千仏礼というその一年を懺悔する行事では、過去・現在・未来のそれぞれの千ずつの仏さまのお名前を唱えて五体投地します。四天王のひとり多聞天は毘沙門天であるとか同じ仏さまでも名前が違う、言い方が違うということもありますが、それを考慮しても、大変な数の仏さまがいらっしゃいます。対機説法と言ってお釈迦さまは人に応じて説法をしたそうですから、人の数だけ仏さまがいらっしゃると言ってもおかしくありません◇仏像仏画というのは、お釈迦さまのお悟りと修行の内容を表しています。その内容を姿かたちに表したのが仏像仏画です。仏像を拝むのは、仏さまの教えを信じ、慈悲にすがり、知恵に学ぶのですから、単なる偶像崇拝ではありません。歴史ある仏像仏画を拝すると、教えは分からなくても、有り難い何かを感じます。多くの礼拝した方の、喜怒哀楽、苦悩だけではなく、喜びも悲しみもすべての人間的感情を、仏像仏画に託して、仏さまが確りと受け止めて下さった結果、有り難さを感じるのでしょう。京都の三十三間堂の仏さま群を観て、歌人の今井邦子さんが歌った歌「立ち並ぶ仏の姿、今見れば、皆苦しみに耐えしみ姿」この皆というのは仏と我との自他を分けない。その苦しみに耐えたことで仏になっているともいえるのかも知れません◇下村湖人の言葉で「天使は苦悩を離れるが故に美しい。観音菩薩は苦悩をかき抱くが故に美しい」。苦能のない人間はいない。誰でもしゃべらないだけで、精神的肉体的な何かしらの苦悩を持っていると言っても過言ではありません。天使は夢、観音菩薩は現実◇仏さまの徳性の一つに他者への共感力があります。他者を配慮する人が増えれば、社会は幸せに向かいます。平成最後の年がそんな年であって欲しいし、私もその一員となるように努めたいと思います。(亮昌)