仏教情報センターの機関紙「仏教ライフ」の中のひとつのコーナー「ぶらり旅」の原稿を推敲して書き直した。

『永福町は、澁谷(京王井の頭線)から十分以内、明大前の隣駅、寺社境内の木々、澄んだ水の流れる都心に近接した閑静な住宅地で、「和泉」と呼ばれ親しまれている。

泉涌山医王院龍光寺

 永福町駅北口交差点からおよそ六十店舗が並ぶ商店街はすっきりとして歩き易い。そういえば電信柱がない。災害避難対策の一環として平成十四年に埋設工事が完了したと聞く。しばらく歩くと、右折する道の角に龍光寺と彫られた歴史を感じる石柱があった。そこから右折。瀟洒な戸建て住宅の続くなだらかな坂を歩く。左に和泉熊野神社、右に龍光寺のうっそうとした木立が見えてくる。昔はこの道はなく、敷地は繋がり文字通り神仏習合。龍光寺は江戸期には和泉熊野神社と和泉の地名の由来となった枯渇しない池のあった貴船神社の別当(管理)寺であった。

突きあたって右に曲がると龍光寺。山門手前には、巨大な石の灯籠型五輪塔がそそり立つ。石塔の高さ六メートル、重量二十五、三トン。奉納されたその石は、あまりの重さに設置時には、作業トラック二台を潰し、廃車処分にしたという。中に支柱は入っていないが、四年前の東日本大震災の揺れにも五輪塔は揺るがなかったとのこと。三十一段の石段を登って山門をくぐると、正面に古色ゆかしい本堂が現れる。右に鐘楼堂、左に観音堂。手前の東屋で休むのも心地よい。近くには清潔なトイレもあり、よく整備されたきれいな境内だ。

新四国八十八カ所和泉霊場

 集められた四国八十八カ所の寺院の土砂、それを踏み巡ると、四国お遍路と同じご利益があるとされるお砂踏み。木漏れ日の下、適度の間隔で安置されている八十八体の仏さまたち。この霊場は、平成四年に、三十四世現住職・聖登僧正の晋山記念に設置されている。「入山料はお幾らですか?」下世話な質問に「そんなものはありません」にこやかに答えてくださったご住職。土日祭日は開放されている。団体等は、事前申し込みでそれ以外の日でも巡拝できるとのこと。

和泉熊野神社と貴船神社

 いくつかの鳥居を通って、木立に抱かれたような拝殿と小ぶりな境内社、更にはしばらく歩いたところに貴船神社がある。神社仏閣の前を流れ和泉地域を巡る中井川の水は、ほとんど湧き水だという。泳ぐ数羽の鴨の水掻きが丸見えになっている。澄んだ水面にこの地域が「和泉」と呼ばれる名残を見た。』

これに写真が数枚入って、1ページ。