パニック障害だという方からメールをもらった。

「パニック障害は我慢強い人がなってしまうみたいです(^^;)ストレスを溜め込んでも見てみぬふりが出来て、案外踏ん張れる。そうすると、体が悲鳴をあげるみたいです。ウツが心の悲鳴ならパニック障害は体の悲鳴。だから、突然起こります(汗)だから、厄介です。なにせ、楽しくてテンション高い時も起こりますから(-_-;)ウツは心にスイッチがパニック障害は脳にスイッチが入る感じです。」


何度か読んだが、良くはわからない。羅病者でなければ本当のところは分からないかも知れない。


欝にしてもパニック障害にしてもその羅病者は最近多くなっているそうだ。厳しい社会状況なのだろう。会社にいるときだけ羅病者で、家にいるときや休日は大丈夫というひともいるそうだ。


心療内科で薬をもらい専門的治療を受けるのだろうが、新たな患者が次々生まれているそうだ。

一般的にカラダの病は分かり易いが、心の病は理解されにくい。羅病者に良い方向で接したい。良いと思ったことが、必ずしも病治癒に良いとは限らないこともある。


鬱病のひとに、「明るくして、頑張ろうね」と言わない方が良いという。本人にとっては辛い状況で頑張っているのに、他者に励まされるのは負担に感じるのだろう。


アルコールや各種の薬物の依存症のひとにも、同じように言えるのではないだろうか。その種の依存症のひとは「いつでもやめられる」と言うそうだ。内心ではやめたいと思っているから、そう言うのだろう。葛藤している本人がいる。そこに、たとえ家族であっても(家族だからこそ)「やめればいいじゃない。どうしてやめられないの!」と非難めいたことを言うのは避けた方が良いようだ。ましてや、攻撃的な言辞はもってのほか。本人の心中は他者には分からない葛藤がある。


一昔前になるが、俳優の西田敏行が出ていたこんなコマーシャルがあった。奥さんが「あなた、お風呂の掃除してください」と言うやいなや「今やろうと思ってたのに~」というミニドラマ。同じことをやるにしても、他者に言われてやるより、自分からやる方が気持ちいい。そんな人間心理をついたコマーシャルだった。


どんな病気でも、病気は医者が治すのではなく、治す手伝いをすると言われる。治そうとする本人の自覚(内からわき出る治癒力)と、環境や状況という縁がその結果となる。そのなかに家族や親しいひとの羅病者への愛情がある。そして愛情も盲目的であってはならないだろう。その病に対する正しい認識を持たなければ意味をなさない。愛情と理知は車の両輪。


どんな人の問題も、解決するのは本人の葛藤の結果。そして葛藤は他者の心の中だから、基本的には分からない。見守らなければならないこともたくさんある。


暗い夜道にたとえられるこの世を歩くに、自らを灯火として生きよ!釈尊の説かれた真実を灯火として生きよ!(自灯明・法灯明)



 


うちのネコじゃない。余所からいただいてきた写真。余所にあったときは動画でネコパンチが動いていた。
写真をクリックすると、動画になった。動いた。