レギオン

  いと高き神の子イエスよ、あなたは私と何の係わりがあるのです。

            ルカによる福音書 第8章26~33節

 

                加 藤 高 穂

 

墓場にばかりいた人

 「それから、彼らはガリラヤの対岸、ゲラサ人の地に渡った。陸に上がられると、その町の人で、悪霊に憑かれて長いあいだ着物も着ず、家に居つかないで墓場にばかりいた人に、出会われた」(ルカ8:26~27)。

 「向こう岸へ渡ろう」と、弟子たちに声をかけ、舟に乗込まれたイエス様は、息つく間もない巡回伝道で、疲労の極に達しておられたのだろう。たちまち、心地よい寝息を立てて深い眠りに落ちてしまわれた。湖面を打つ櫂の響きが、あたりの静寂を破るだけだ。こうして湖の中程まで来たときだった。

 俄かにガリラヤ湖特有の旋風が起き、湖は大荒れとなった。博多湾程の広さとは言え、アフリカ大地溝帯から連なる大地の裂け目・ヨルダン渓谷に位置するガリラヤ湖は、海面下およそ二百㍍の低所にある。その独特の地形が、ほんの今まで美しく穏やかな表情を見せていた湖を、瞬時に猛り狂う、凶暴な嵐の海に一変させてしまうのだ。

激浪に翻弄され、水浸しになった小舟は、今にも沈まんとするが、イエス様は相変わらず眠っておられる。板子一枚下は地獄という諺そのまま、弟子たちは地獄に直面し、あわて惑い、「先生、先生、私たちは死にそうです」と、イエス様を揺り起こした。やおら起き上がったイエス様が、風と波とに向かって「静まれ、黙れ」と叱責されるや、嵐は止んで、凪になったという。

 こうして、小舟は無事、対岸ゲラサ人の地に着いた。そこはアレクサンドロス大王の後継者たちによって建てられたギリシヤ・ローマ風の都市で、イエス様や弟子たちが住んでいたガリラヤとは、全くの別世界だ。

 この異邦人の地に、悪質で強力な悪霊に取り憑かれた男がいたのである。衣服を身に着けることもなく、裸同然の姿で、墓場を住処とし、昼となく夜となく、奇声を上げ、泣き叫び、石で自分の体を傷つけていた。

 この悪霊憑きの男が、イエス様の姿を見るや、墓場から走り出て、素裸のままイエス様の前に立ち現われたのである。同行した弟子たちの様子は、どこにも記されていない。だが、嵐の海で感じた恐怖以上の、得体の知れないおどろおどろしさに、口も利けなかったろう。

 

いと高き神の子イエスよ

 「この人がイエスを見て叫び出し、御前に平伏して大声で言った、『いと高き神の子イエスよ、あなたは私と何の係わりがあるのです。お願いです、私を苦しめないで下さい』。それは、イエスが汚れた霊に、その人から出て行け、とお命じになったからである。というのは、悪霊が何度も彼をひき捕えたので、彼は鎖と足枷とで繋がれて看視されていたが、それを断ち切っては悪霊によって荒野へ追いやられていたのである」(ルカ8:28~29)。

 まさに阿鼻叫喚。苦しみに耐えかねた地獄の亡者が泣き叫ぶような奇妙な声を発した。そしてイエス様の前に身を投げ、地面に這いつくばり、大声を上げたのである。「いと高き神の子イエスよ、あなたは私と何の係わりがあるのです。お願いです、私を苦しめないで下さい」。

 ほんの今しがた、嵐の海を鎮められたイエス様を目の当たりにした弟子たちは、「一体、この方は誰だろう。お命じになると、風も水も従うとは」と、驚き恐れたものの、それ以上には出なかった。霊眼開け、神の御子なる主イエス・キリストの真実相を見ることはなかったのである。

 ところが悪霊は、イエス様を一目見るなり、瞬時に「いと高き神の子イエスよ」と、人間イエスの姿に神を拝したのだ。しかし、悪霊の悪霊たるところは、何処にあるか。

 イエス様を神の子、すなわち聖なる神と認めつつ、神に従うことを拒むのである。「あなたは私と何の係わりがあるのです」と喚いて、イエス様に我と我が身を明け渡すことをしない。どこまでも神を忌避して、自己を保持せんとするのだ。

 とまれ、強力な悪霊に憑かれた男には、最早、悪霊と自分の別がつかない。霊が騒ぎ出すや、男は想像を絶する破壊的な力を発揮し、人や物を傷つける。人々は鉄の鎖や足枷で男を縛ろうとしたが、たちまち打ち砕いてしまう。誰も手の施しようがないのである。

 ただ、如何に悪霊に憑かれた狂人とは言え、一個の人間として生まれた限り、彼にも親があり、家族もあった。だが、もはや家族や隣人とまともな人間関係を築くことはできない。人々は、いつ、どこで、どんな目に合わされるか知れないと、彼に近づこうとしない。危険極まりない、恐ろしい人間として、誰からも愛されず、誰をも愛さず、生きながら世から葬られ、自らを葬り去って、墓場を住処としていた。生きるも死ぬもならず、悪鬼そのものとなって生きていたのである。イエス様は、その男を温かく迎えて、言われた。

 

何と言う名前か

 「イエスは彼に『何と言う名前か』とお尋ねになると、『レギオンと言います』と答えた。彼の中に沢山の悪霊が入り込んでいたからである。悪霊どもは、底知れぬ所に落ちて行くことを自分たちにお命じにならぬようにと、イエスに願い続けた。ところが、そこの山辺に夥しい豚の群れが飼ってあったので、その豚の中へ入ることを許して頂きたいと、悪霊どもが願い出た。イエスはそれをお許しになった。そこで悪霊どもは、その人から出て豚の中へ入り込んだ。するとその群れは、崖から湖へなだれを打って駆け下り、溺れ死んでしまった。」(ルカ8:30~33)。

 「レギオン」とはローマ帝国軍の一軍団の呼び名で、新約聖書の頃は歩兵約六千とそれに付随する騎兵隊よりなっていた。各軍団は、更に細かく隊に分けられ、聖書に登場する百卒長、千卒長はその隊長で、それぞれ百人、千人の兵士を指揮した。

 イエス様に親しく名を問われた男は、自らを「レギオン」と呼んだ。向かうところ敵無し、世界最強を誇ったローマ重装歩兵軍団を名乗る、強力な悪霊が取りついた男だったのである。

 だが、如何に強力な悪霊と言えども、生ける真の神の御前にあっては、その許しの中で、辛うじて命脈を保っているに過ぎない。なればこそ、悪霊どもは「底知れぬ所に落ちて行くことを自分たちにお命じにならぬようにと、イエスに願い続けた」のである。その願

いが容れられ、山辺に飼育されていた夥しい豚の群れに憑依した。豚の群れは、崖から湖へなだれを打って駆け下り、溺れ死んでしまったという。

一方、悪霊を追い出して貰った男は、どうなったか。

 

語り聞かせなさい

 「悪霊を追い出して貰った人は、お供をしたいと、しきりに願ったが、イエスはこう言って彼をお帰しになった。『家へ帰って、神があなたにどんなに大きなことをして下さったか、語り聞かせなさい』。そこで彼は立ち去って、自分にイエスがして下さったことを、悉く町中に言い広めた」(ルカ8:38~39)。

 悪霊は、神を厭い、神を嫌う。その悪霊に憑依された男は、構わないでくれ、ほっといてくれと、神なしでやって行こうとした。その末路はというと、家族と共に生きることも、自分を愛することもできなくなって、他人を厭い、自らを傷つけ、幽鬼の如く、墓場に生きるしかない哀れな存在と化していた。

 その男にイエス様が直に臨まれるや、上よりの熱い生命と力を受けた。心と魂が、根底から揺り動かされ、ひっくり返ったのである。悪霊は打ち払われ、失われていた本来の自分に目覚めたのだ。

 宗教を英語でreligionという。これは「繋がる」「結合する」という意味のラテン語religareに由来する。神を離れ、自ら失われた存在となり果てた人間が、今一度、神に受け入れられ、神に繋がるところに、宗教本来の意味があるのだ。それだけでない。

 主にあって新生を受け、救いに与かった人間は、その人独自の、神からの召命を受ける。男はかつて飛び出した家に帰り、日々の生活の只中で、神の良き音信、救いの喜びを伝える使命を授かったのである。

2015.1.20.