「桜散る」

            加 藤 高 穂

 

   万葉の里に水城の桜散る

 

   磯の香をふゝみて島の花吹雪

 

   大海に花吹き入れて島桜

 

 ここ数年、梅や桜、コスモスの頃になると、簡単な手弁当を携え、妻とふたり近くの水城跡まで花見に行くのを、ささやかな楽しみにしていた。

 だが何故か、去年・今年と、桜を見に行く機会を逃がしてしまったのである。それはそれで、あちこちに咲き誇る沢山の桜を目にすることができた。ただ、花の命は短い。思いきり華やかに咲いた桜も、一ひら二ひらと、散り始めるや、一夜にして忽ち散り失せてしまう。その散りぎわの潔さもふくめて、私どもの祖先は、桜を花の王として愛でるのみならず、「花は桜木、人は武士」という諺まで残してきたのである。

 民俗学では、サクラの「サ」は田の神、「クラ」は神霊が依り鎮まる座を意味するというので、サクラは田の神の依代としての呼称であるとみる。ならば花吹雪は田の神が山に上り、天に帰る証左というべきものなのだろうか。

 吉田兼好は『徒然草』に、「花はさかりに、月はくまなきを見るものかはとは」(第137段)と書き記した。桜の花は、咲きそろったところばかりを、月は翳りもなく照り渡っているところばかりを見るものではないというのだ。咲くもよし、散るもまたよし。人の命も、変らない。無常迅速、この春も身近な方々が、主に召されて逝かれた。自分も何年生きるか分からない。今という時を愛おしみつつ、そこに臨んでいる、永遠なる御方を忘れずに生きたいものである。

2016.5.20.