大胆に語らせて下さい
使徒行伝 第4章24~31節
加 藤 高 穂
主イエスは生き給う
ペテロとヨハネは、祈るために詣でた、エルサレム神殿・美しの門の前にて、四十歳位の生れつき足萎えの乞食を癒したことが発端となり、集まってきた大群衆に向かって、「あなた方が十字架に殺したナザレ人イエスを、神は死人の中から甦らせた。主イエスは、今も、現に、生き給う。神の御霊として、天上から地上に働きかけておられる。
その確かな証拠に、主イエスの御名を呼べば、主の御霊がやって来て、この人を立ち上がらせたのだ。このイエスによる以外に救いはない」と力強く証した。
ユダヤ教サドカイ派の本拠・エルサレム神殿のど真ん中である。彼らは死人の復活も、霊も、天使も信じない。そして何よりも、主イエス・キリストを十字架に屠る運動を、先頭に立って強力に推し進めた一大勢力でもあった。すべては十字架で決着したはずだ。
ところが、どっこい。この騒ぎである。手をこまねいて、見過ごすわけには行かぬ。真っ先に駆けつけたのは、宮守頭に率いられた神殿警察隊だった。ペテロとヨハネは直ちに逮捕され、日も暮れていたため、地下牢に留置されたのである。
翌朝、ユダヤの最高議会サンヘドリンが召集され、ペテロとヨハネは宗教裁判にかけられた。ペンテコステを過ぎて間もない時期である。主イエスが、十字架に処刑されて、ほんの二ヶ月そこそこしか経っていない。議長席に坐る大祭司を含め、七十一人で構成される裁判員には、イエス様に死を宣告した大祭司カヤパを始め、その舅で影の実力者アンナスなど、ユダヤの超エリートたちが、敵意と憎悪をあらわにして座を占めている。普通だったら、それだけで足がすくみ、しどろもどろの答弁さえも難しかったろう。
だが、ペテロとヨハネは屈しなかった。「神に聞き従うよりも、あなた方に聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。私たちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らない訳にはいかない」と逆に大祭司に迫ったのである。サンヘドリンは、これに返す言葉もなく、ただ「イエスの名によって語ることも説くことも、いっさい相成らぬ」と二人を脅迫した上、赦したのだ。
解放されたペテロとヨハネが真っ先に向かったのは、自分たちのために祈っている教会の仲間の所だった。彼らと会ったペテロとヨハネは、逮捕から釈放に至るまでのいきさつと、その間、自分たちが受けた祭司長たちや長老たちの仕打ちなど、一切を報告した。それを聞いた人々の口を突いて出たのが、主なる神への高らかな讃美だった。
神に向かい声をあげて
「一同はこれを聞くと、口をそろえて、神に向かい声をあげて言った、「天と地と海と、その中のすべてのものとの造り主なる主よ。あなたは、私たちの先祖、あなたの僕ダビデの口を通して、聖霊によって、こう仰せになりました、『なぜ、異邦人らは、騒ぎ立ち、もろもろの民は、むなしい事をはかり、地上の王たちは、立ち構え、支配者たちは、党を組んで、主とそのキリストとに逆らったのか』」(行伝4:24~26)。
「主よ、あなたは、天と地と海と、それらの中にある万物の造り主です」と、讃美は上へ上へと引き上げられていく。そして祈りは、詩篇第二編冒頭のダビデの歌に取って代られる。
まるで激しく怒った馬が興奮して鼻息荒くいななくかのように、諸々の国人は騒ぎ立つのか。はたまた諸々の民は、神に逆らうといった空しい事をたくらむのか。世界は神とキリストに逆らい、騒ぎたち、キリストをあなどり、亡き者にした。こうして、詩篇の祈りが噴出したのも、このメシヤ預言が、キリストの十字架と復活において成就したからである。
「まことに、ヘロデとポンテオ・ピラトとは、異邦人らやイスラエルの民と一緒になって、この都に集まり、あなたから油を注がれた聖なる僕イエスに逆らい、御手と御旨とによって、予め定められていたことを、成し遂げたのです。主よ、今、彼らの脅迫に目を留め、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。そして御手を伸ばして癒しをなし、聖なる僕イエスの名によって、徴と奇跡とを行わせて下さい」(行伝4:27~30)。
人々は彼らの脅迫に目を留めて下さいと祈り願ったが、迫害を止めさせて下さいと求めていない。そして、「思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい」と、声を上げている。
これが初代教会の祈りだった。脅迫、迫害のただ中にあっても、そこに神の御旨が働いている。色々な困難はあっても、神が御旨をなし給う。神が目を留めておられるのを知るとき、真の勇気が湧いてくる。
確かに、私どもは迫害と聞くだけで恐怖に怖気づき、不安にさいなまれ、身震いする。誰一人、それを好ましいとは思わない。しかし、アーメン有難うございますと、主の恵みとしてお受けすると、不思議に力を受ける。
なぜなら、主イエス・キリストに自分の生死の一切をお委ねすることで、ちっぽけな自分に切れるからである。私どもが独力で、艱難に立ち向かうのでない。キリスト・イエスが共に居て、勇気づけて下さるのである。
キリシタン大名高山右近
豊臣秀吉は1587年7月24日夜半、突如、キリシタン禁令を出した。折から九州出兵に従軍していた高山右近は「今後とも予に仕えようと思うなら、キリシタンの信仰を捨てよ」と、秀吉に迫られたのである。右近は答えて言う。
「私は常日頃から、身魂を傾けて太閤様にお仕えして参りました。今といえども、太閤様のためとあれば、脳髄を砕き土まみれにしても厭いません。
ただ一つの事以外は、太閤様のご命令には絶対背くものではないのです。その一つの事、信仰を捨てて、神に背けとの仰せは、たとえ右近の全財産、生命にかけても従うことはできないのです。それは神との一致こそ、我々人間がこの世に生まれた唯一の目的であり、生活の目標でありますから、神に背くことは人間自らの存在意義を抹殺することになります」。
秀吉の意に従わねば、その結果は誰の眼にも明らかだった。右近は教会と自分の身に襲いかかろうとしている迫害に、よく耐えて信仰を守り抜くことができるための力を、神に祈った。神のために生命を献げることは、キリシタンたる者の、身に余る光栄である。
だが、教会を迫害し、神に大逆を犯すことはよろしくない。自分が親しみ仕えて来た秀吉がこの大逆を犯す事が悲しい。教会のため、秀吉のため、さらに今日まで忠実に仕えてくれた臣下のキリシタン部将のためなら、自分は即座に殺されてもよい。右近は衷心から神に祈った。
それでも秀吉の心を変えることは出来ないと知った彼は、ためらうことなく信仰を選び、秀吉幕下の武将たる地位と、明石六万石の知行とを捨てたのである。時に右近35歳だった。
彼は苦難と貧困の追放のただ中にあって、彼に同情する人々に言った。「我らの行く所として、神様の在さざる所はなく、私は何処に行っても故郷に帰る思いが致します」。
右近は、その快活さを失うことなく、永遠の信仰と希望と愛に生かされていたのである。
私どもは、自分自身のために生きるとき、非常に力が弱い。しかし、ペテロを始めとする初代教会の人々はもとより、その霊の流れを受け継ぐ人々は、自分のために生きるというより、神と人に仕え、私どもを超えた御方の生命とその息吹きに生かされていた。
彼らが祈り終えると
「彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した」(行伝4:31)。
大胆に御言葉を語らせて下さい。この熱い祈りは、神に嘉納せられた。人々の祈りに応えて、主イエスの霊が注がれ、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した。キリスト・イエスの御名があがめられるため、主の御栄えのためにと、ひたむきに生きる初代教会の人々と祈りを共にしつつ、歩ませて頂きたい。
〔2017.5.20.〕