故郷(ふるさと)

          マルコによる福音書 第6章1~6節

 

      加 藤 高 穂

 

帰 郷

「イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも従って行った」(マルコ6:1)。

郷里の村ナザレに行こうとされたイエス様の胸に、どんな思いが交錯していたのだろうか。生まれ育った故郷に寄せる思いは、人それぞれだろう。

私事になるが、48年前、当時、福岡城(舞鶴城)跡地に建っていた国立中央病院で、母は癌のため54歳で召された。病状が進み最期が近いと知った時、母は「山形に帰ってみたい」と洩らしたことがある。だが、願い叶わぬまま、この世を去った。

その日夕方、福岡では珍しく雪となり積雪を見たが、母の郷里では、俊一郎叔父が衣文掛けにかけていて、落ちるはずもない着物が、スルリと滑り落ちた。それを見た瞬間、「姉が帰ってきた!」と叔母に言った。その直後に、電話で知らせが届いたと聞いている。

 良きにつけ悪しきにつけ、郷里というのは、それほど懐かしく恋しいものなのだろう。

 故郷ときけば、心に浮かぶのは、室生犀星が若き日に書き綴った第二詩集『抒情小曲集』に掲げた「小景異情その二」であろう。

 

   ふるさとは

   遠きにありて思ふもの

   そして悲しくうたふもの

   よしや

   うらぶれて異土の乞食と

   なるとても

   帰るところにあるまじや

   ひとり都のゆふぐれに

   ふるさとおもひなみだぐむ

   そのこころもて

   遠きみやこにかへらばや

   遠きみやこにかへらばや

 

 萩原朔太郎は、この詩を評して、「年少時代の作者が、都会に零落放浪して居た頃の作である。母親と争ひ、郷党に指弾され、単身東京に漂泊して来た若い作者は、空しく衣食の道を求めて、乞食のごとく日々に街上を放浪して居た。(中略)至る所の街々に、見知らぬ人々の群集する浪にもまれて、ひとり都の夕暮にさまよふ時、天涯孤独の悲愁の思ひは、遠き故郷への切ない思慕を禁じ得ないことであらう」と書いている。

 ところで、イエス様は、福音宣教の使命に燃え、郷里ナザレに足を踏入れた。そして安息日の朝を迎えると、幼い頃から通いなれた会堂への道を、踏みしめて行かれた、胸中には悲喜こもごも、色んな思いが渦巻いていたであろう。

 ほんの数日前、イエス様によって、死んだ筈の会堂司ヤイロの娘が甦らされたという噂を、村人たちは耳にしていた。それどころでない。悪霊を追い出し、ライ病や中風、その他、多くの病人を癒し、ガリラヤ湖上の嵐を鎮める奇跡を行なったという各地からの、風の便りに触れてもいた。

 かつて村人仲間だったあのイエスが、帰ってきたというのである。人々は大きな関心と期待に胸膨らませ、会堂礼拝に集まっていた。

 

故郷ナザレの会堂にて

 「そして安息日になったので、会堂で教えはじめられた。それを聞いた多くの人々は、驚いて言った、『この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵はどうだろう。このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか」(マルコ6:2)。

 ルカ伝4章16節以下には、会堂司が羊皮紙巻物の聖書をイエス様に手渡し、説教を求めたと記されている。巻物を紐解いた主は、預言者イザヤの書を朗々と詠み上げられた。

 「主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、主の恵みの年とわれわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである」(イザヤ61:1~3)。

 イエス様は、神による解放の業を告げる言葉を朗読され、説教者の座に着かれると、人々の目は一斉に主イエス様に注がれた。そして、評判に違わぬ力強い名説教に驚嘆したのである。

 だが、それ以上に人々が魂消たのは、聖書が告げる預言は、あなた方が耳にしたこの日に成就したという言葉を耳にした瞬間だった。

 人々は、心の中を一瞬、冷たい風が吹き抜けたのを感じたであろう。そして、皮肉にも、この言葉を聞いた人々の驚きは信仰の従順には至らず、むしろ強烈な反発と憎悪を引き起したのである。

 

彼らはイエスに躓いた

 「この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか』。こうして彼らはイエスにつまずいた」(マルコ6:3)。

 ナザレ村の人々は、イエス様の生い立ちのみならず、その家族一人々々の事情に通じていた。長男のイエス様が、わざわざ「マリヤの息子」と呼ばれている。それは、一家の大黒柱だったヨセフが亡くなっていたこと。また母マリアがヨセフと結婚する前に身籠った子供だという非難の意が籠められている。

 兎も角、ヨセフ亡き後、イエス様は家長としての責任を果たすべく、家業を受け継ぎ、村の匠として家屋の建築から家具、建具、農具を製作し、村人の需要に応えると共に、家族全員の面倒を見て、その生活を支えられたのである。そして、母マリヤ、弟や妹たちが、一本立ちできるのを見届け、伝道活動に乗り出して行かれたのだった。

 ここに四人の弟たちの名が列挙されているが、次男のヤコブは、使徒行伝に出てくる主の兄弟ヤコブのことで、初代エルサレム教会の指導者となった。伝承によると、彼は終身のナジル人。義人と呼ばれ、人々から尊敬された。強い酒を飲まず、肉を食べず、頭にかみそりをあてず、水浴せず、油を身に塗らず、白い衣を着て聖所に入り、民の罪の許しを祈り続けた。そのため、膝はラクダの足のようになったという。紀元66年、ローマに対する反乱(第一次ユダヤ戦争)が起きるが、その四年前に、議会で過激分子に訴えられ、石打ちの刑により殉教した。
 三男ヨセに関しては何も分からない。四男ユダは、伝承によると「ユダの手紙」の著者とされてきたが、紀元2世紀に書かれているので、彼の書とするのは難しい。五男のシモンのことも、今となっては不明である。

 また、「その姉妹たちも、ここに私たちと一緒にいるではないか」と記されているが、彼女たちは皆、結婚していたらしいが、詳細は明らかでない。

 ともかく、村人たちは、イエス様とその家族のことを、人間的にあまりに近く知っていた。それが反って躓きとなり、父なる神の御旨に従い、天来の霊に生きているイエス様を見る目を失ってしまったのである。

 

不信仰への驚き

 「イエスは言われた、『預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない』。そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた」(マルコ6:4~6a)。

 ナザレの人々は、イエス様の近さを人情で受けとめた。そのため、自分の尺度、自分の立場で受け得ないものは、拒み弾いてしまう。自分の城を、鉄壁で囲ってしまったのである。

福音書記者ルカは、イエス様の語りを受けた人々の姿を「会堂にいた者たちはこれを聞いて、みな憤りに満ち、立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、突き落そうとした」(4:28~30)と記している。

 自分の城を固め、神に向かっても、天来の生命に与かることはできない。篭城している自分という堅固な城が抜かれ奪われてこそ、生き生きとした神の支配、神の国が与えられるのだ。主に奪われ、空しくさせられて、祈りと讃美を、共にさせて頂きたい。