「豚の尻尾」

              加 藤 高 穂

 

    のどかさや親子の豚の巻尻尾

 

 西南大神学部に23歳で入学すると、干隈にあった学生寮三階の一室に居を定めた。新生活に慣れた頃には、若葉が明るい日射しを浴びてキラキラ輝き、爽やかな風が窓から吹きこんでいた。

 そんな或る日、夕方のことだった。何とも言えない異臭が風に運ばれてくると、部屋一杯に満ちたのである。それまで、山手では豚が飼われているなど知らずにいた。近隣から集めた残飯を餌に、豚たちの食事が始まったのである。

 穏やかな南風は、匂いを選ばない。高貴な花の香りも、何とも言えない残飯の臭いも、優しく受け入れ、運んでくれる。心のせまい自分など、真似しようにもそれはできない。せいぜい腹を空かせた豚たちが、鼻を鳴らし、喜ぶさまを思い浮かべるのが関の山である。

 子供の頃、近所の豆腐屋さんの庭でも豚が飼われていた。豆腐を作る食材のあまりを食べさせていたのだろう。丸々と太った体には、おおよそ不似合いな、細く短い巻尻尾が申し訳なさそうにお尻にくっついていた。豚に作為はないものの、それが何ともユーモラスで微笑ましかった。

 豚の姿を思い浮かべると、ユーモアも何もないテレビの大食い番組は頂けない。幼少期、食糧不足の世相を垣間見つつ生かされて来たが、そんな遠い話をするのでない。今なお空腹を抱え、苦しむ人がおられるのだ。食を冒瀆する番組の、俗悪な趣向と驕りに胸が痛む。

 そんな中、乏しい人々と痛みを分かち合い、尽力される人の姿をみると、ぽっと明るい光が、心に点るのを覚えるのである。