十字架上の叫び
マルコによる福音書 第15章33~41節
加 藤 高 穂
十字架につけた
イエス様が十字架につけられたのは、4月中旬、金曜日午前9時だった。ローマ軍の兵卒たちは、イエス様の衣服を剥ぎ取ると、ゴルゴタ丘上の十字架に、手足を引き伸ばし、釘付けにした。そして、天地の間に、十字架の主イエスを、裸のまま、晒し者にしたのである。
時あたかもユダヤ民族の大祭・過越祭の時節だった。午前9時ともなれば、街路という街路は、エルサレム神殿に詣でる人、人、人の波でふくれ上がり、ごった返しの状態だったろう。その時である。通りがかりの群衆の間から、非難と罵りの声が上がったのだ。
「ああ、神殿を打ち壊して三日の内にたてる者よ、十字架から降りてきて自分を救え」。この群衆の声を耳にした祭司長や律法学者たちは、偽証によりイエス様を罪に陥れた謀がまんまと図に当たったことを確信した。群衆の罵詈雑言に、自分たちの企てが成功したと勝利を喜ぶや、「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。イスラエルの王キリスト、今、十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」と嘲弄した。また主イエスの左右に十字架につけられた犯罪人までもが、イエス様を罵り続けたのである。
全地は暗くなって
「昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。そして三時に、イエスは大声で、『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と叫ばれた。それは『わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか』という意味である。すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、『そら、エリヤを呼んでいる』。ひとりの人が走って行き、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとして言った、『待て、エリヤが彼を下ろしに来るかどうか、見ていよう』」(マルコ15:33~36)。
イエス様は、人々の悪口雑言・あらゆる嘲りを一身に浴びる中、十字架の苦痛に耐えておられたが、三時間が経過した昼の12時に、突然、地上は暗くなり午後3時に及んだ。
この暗闇はシリヤやアラビヤ、パレスチナ地方で、早春から初夏にかけて吹くカムシンと呼ばれる局地風によるとも言われる。乾燥した南西風で、砂塵や土砂を空高く吹き上げ、気温は50度にもなる。すると、地平線は砂塵のため全く見えなくなり、太陽は鉛色をして殆んど陰影を生じない。主イエスの十字架が立つ、ゴルゴタの丘そのものが、まるで頭から塵灰をかぶり、人間の罪を悔いるかのようであったろう。
その場にいた人々にも、それが単なる自然現象とは思えなかった。というのも、神の御怒りが現れるとき、太陽は光を失うと警告した旧約の預言者の言葉が、ありありと人々の心に蘇ったからである。それでも人々は、頑なに神を拒み、神に立ち帰ろうとはしない。
午後3時、砂嵐が去り、闇の向こうから光が射してきたときだった。イエス様は、十字架上で「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給うや)と絶望の叫びを上げられた。
その叫びに突き動かされたローマ兵の一人が、携行していた酸いぶどう酒を、葦の棒につけ、イエス様に飲ませようとした。
すると、火の車に迎えられ、天に昇った預言者エリヤの逸話を知るユダヤ人が、「待て、エリヤが彼を下ろしに来るかどうか、見ていよう」と制止した。ユダヤ民衆の間では、艱難や火急の際には、エリヤが助けに来るという俗信が流布していたからである。しかし、エリヤは来ない。イエス様は「エロイ、エロイ、…」と悲痛な叫びを上げ、息を引き取られた。
絶望の淵から
この主イエスの叫びは、詩編第22篇の劈頭に出ている。だが、イエス様は、絶望の故に、この叫びを上げられたのでない。それはこの詩編が、神の力と勝利の讃美で終っているからだといった解釈もされる。
だが、どうだろう。急場に際しての叫びには、その片言隻句にこそ、すべてが籠っている。詩篇末尾の言葉が、どうのこうといった悠長な話ではない。
父なる神は、真実、激しい力で、独り子なるイエス様を突き放し、打ち捨てておられる。御子イエスも、それを全身全霊で受けとめ、絶望の淵から、この叫びを上げられたのだ。
どん底には、底がない。底知れぬ暗黒と絶望、どこまでも、どこまでも、限りなく落ちてゆくだけ。終りなき、永遠の死と滅びなのだ。なればこそ、私どもは誰一人、神に見放され、見棄てられるどん底を知ることはない。イエス様が、それを一身に引き受け給うたからである。
では、何ゆえ御子イエスは、父なる神に見棄てられたのか。それは、私どもを救うため、死に至るまで身を低くして、私どもと同じ人間になられたからに外ならない。神を拒み、神に背く私どもの罪の値。その終極は、永遠の死と滅びである。十字架のイエス様は、私どもの罪を担い、私どもが神に立ち帰るのを、今か今かと待っておられる。
イエスは声高く叫んで
「イエスは声高く叫んで、最後の息を吐き出された。そのとき、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」(マルコ15:37~38)。
瀕死のイエス様のどこに、そんな力が宿っていたのか。主イエスは声高く叫び、裂帛の気合と共に、最後の息を吐き出された。その息は、レーザー・メスさながら、瞬時に空間を貫き、エルサレム神殿最奥部。聖所と至聖所を隔てる幕を、上から下まで真二つに切り裂いたのである。
この聖所の幕は、大祭司の外は、誰もこの幕を通って至聖所に入ることは許されない。大祭司でさえも、年に一度、贖罪の日に、自分自身と民の罪の贖いのため、神の御前に生贄の血を携えて入ることを許されただけであった。
その神殿の幕が真二つに裂けたのだ。そのことは、イエス様の十字架の死により、今や神への道が広く、すべての人に開かれたことを意味している。もはや、神に近づく人為的な障壁はない。私どもは、イエス様の信を受け、恩寵によって救いに渡され、身にあまる祝福の生命を与らせて頂くのである。
神の子であった
「イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、『まことに、この人は神の子であった』。また、遠くの方から見ている女たちもいた。その中には、マグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセとの母マリヤ、またサロメがいた。彼らはイエスがガリラヤにおられた時、そのあとに従って仕えた女たちであった。なおその他、イエスと共にエルサレムに上ってきた多くの女たちもいた」(マルコ15:39~41)。
百卒長といえば、ローマ軍の中核である。戦いの最中にあって、味方がどんなに劣勢になろうと、敵に背中を見せてはならぬ。最後の最後まで、戦場に踏みとどまって戦う。その使命に生きてきた歴戦の勇士である。なればこそ多くの戦いを経験し、目の前で死んでいった数多の兵士の姿を見てきたであろう。
その百卒長が、十字架のイエス様の死を目の当りにして、その愛の広さ、深さに心打たれ、思わず知らず「真に、この人は神の子であった」と、魂の底から讃嘆の声を上げたのである。
思えば、イエス様は伝道生涯の初め、ヨルダン川で洗礼者ヨハネからバプテスマをお受けになった。その時、「これは私の愛する子」という天からの声を聞かれている。
その天来の声に応じるかのように、異邦の百卒長が、自ら告白したのである。彼が、その後、どんな生涯を送ったかは知らぬ。ただ、主イエスの愛と真に貫かれた、勇気ある証し人として生きたのは確かであろう。
また当時の社会にあって女性の地位は低かったが、彼女たちこそが、最初から最後まで、イエス様に忠実に仕え、御許を離れることはなかった。教会の危機の時代も、そうした女性たちの働きにより、終始支えられてきたことを忘れることはできない。